番外編・神様の通り道

<藤並香衣さんの投稿>

 僕が子どもの頃に住んでいた家は、大工だった曾祖父が自分で土地を買って建てた家でした。家相とかも気にしないで建てられた家だったようです。

 ある時、どういう経緯でやってきたかは不明ですが、祈祷師から「この裏庭に出る通路は『神様の通り道』だから、通るときには神様に「通らせてください」と声をかけて通りなさい。」と言われたと言います。

 家の脇を抜けて鬼門のある小さな裏庭に行くときは、家族は皆「神様通らせてくださいね」と声をかけてから通っていました。

 子ども心に「神様もこんなところを通ることがあるんだ」と思っていました。

 小学生になって友達になった女の子の家に遊びに行った時に、その子のお母さんが足を引き摺って歩いていました。

「お母さん、怪我してるの?」とその子に聞くと

「うちのお母さんは神様の通り道を横切って神様の邪魔をしたんだって。」不思議そうな顔をしている僕にその子は続けた。

「いろんなお医者さんに診てもらったけど、どうしても治らないの。神社の巫女さんから、神様に投げ飛ばされてした怪我だから、一生治りませんよって言われているの。」

 本当に、まるで誰かに投げ飛ばされたように宙を舞って転んだのだそうです。

 僕の頭には「神様の通り道」の話が浮かびました。本当に神様が通る道があって、邪魔をしてはいけないのだと。

 家を建て替えた今でもその場所は少し開けてあり、家族は皆「神様通らせて下さいね」と言いながら通っています。

2023-05-17

60.外を見てはいけない日

 Mさんの実家は代々庄屋で、近代になっても親族が村長などを務め、祭りなども取り仕切って来た。

 この村には神様が通る日というのがある。神官や村長など限られた役職の数人だけが、村外れの丘に登り、お迎えの儀式を行う。他の者は雨戸を閉ざして家にこもり、外に出てはならない決まりだった。神様は姿を見られるのを嫌うのだ。Mさんも子供の時分から、掟を守るよう固く言いつけられていた。M家の者は村人の見本にならなければいけないと、厳しく躾けられて逆らってはならなかった。

 高校生の頃、祖父が儀式の為に家を出る際、念を押すようにわざわざMさんに「外を見るなよ」と言った。信用されていないようで、ムッとした。祖父はいつも、Mさんにだけ特にうるさかった。

 この日は祖母や母など女衆は、宴席の用意で忙しく、父や兄は儀式の手伝いで神社に行く。いつも一緒だった下の兄も、この年から手伝いに参加していた。

 一人で暇だったMさんに、外を見てやろうかという考えが浮かんだ。丘の神域や神社以外には誰も出ていないのだから、家の者にさえ気付かれなければ、前の道を通るという神様が見られるかもしれない。ラジオをつけっぱなしにして居るように装い、自室の窓からそっと庭に出た。庭に面した裏木戸を少しだけ開けて、道の様子を覗うと、やはり誰も居ない。電柱と塀の間に隠れて神様が来るのを待った。

 神様は割とすぐにやって来た。道のずっと先から、赤い着物を着て赤い面を被った誰かが歩いて来る。

 なんだ人間じゃないかとガッカリした時、突然バケツの水をぶっかけられた。いつの間にか後ろから来ていた別の者がいて、やはり赤い面を着けていた。頭からモロに浴びせられて驚き慌てたMさんは、急いで家に引っ込んだ。

 自室に戻って服を見たら、真っ赤に染まっていた。洗面所に駆け込み鏡を見ると、顔も真っ赤だった。

それから一週間ほど、顔や手の赤い色は取れなかった。もちろん家族にバレたし、祖父にきつく怒られた。一族の恥だとまで言われ、元に戻るまで家から出してもらえなかった。

 この行事は元々、村の掟に従わない者を、炙り出す目的で始まったのだと聞かされた。

 Mさんはこの村を出る決心をした。

2021-03-14

59.山に行ってはいけない日

 Lさんの家の裏山には、入ってはいけない日が定められていた。神が降りて来る日で、その姿を見たら気が狂うと、伝えられていた。行ってはいけないのはたった1日だし、わざわざその日に山に行く人もいなかった。

 ある年の山封じの翌日、隣村に住む女が、夫の様子がおかしくなったと、Lさんの家に駆け込んで来た。昨日山から帰って以来、ずっと水も飲めなくなり、なんとかして欲しいと言う。どうやらこの時期に生えている高く売れる薬草を狙って、こっそり裏山に入ったようだ。しかし裏山を祀る地主だからと、Lさんの家に来られても、Lさん達にもどうしたら良いか分からない。祖父母や年寄り連中も、助ける方法は知らなかった。ただ禁忌を破った者は土地を去れと、聞かされていただけだった。

 女の夫は前日、山の中を歩いていて、地響きを感じた。山崩れかもしれないので、急いで高くなっている方に避けた。すぐに上の方からビチャビチャずるずると音がして、赤い水が流れて来た。だが脇を下って行くのを見ると、それは水ではなく、とても長いミミズのような生き物の大群だった。 群れはあっという間に下へ落ちて、視界から消えた。

 家に戻った男は、水を飲もうとして口を付けたコップを、驚いて取り落とした。糸ミミズが入っていた。何故コップにと思ったが、蛇口から水を汲み直そうとすると、糸ミミズが湧いて出た。

 夕飯の汁物にもミミズが蠢いており、家中にある水という水全部、風呂の中さえミミズでいっぱいだった。水分のあるものは、すべて受け付けなくなってしまった。

 結局男は衰弱して町の病院に運ばれた。点滴や栄養剤で回復したものの、家に戻って来ると、また同じ症状が出る。これを繰り返した後、山から離れれば正気に戻ると気付いて、村を去って行ったのだった。

2023-03-13

58.海に行ってはいけない日

 Kさんの住む小さな港町では、17年に1度だけ特定の日に、夜になったら屋内に入って、朝まで決して外に出てはいけないと教えられて来た。海を見てもいけないので、海が見える範囲の家々では、厳重に戸締りして明け方まで籠っていた。

 この手の言い伝えは各地にあると思うが、この集落のものは少し変わっていて、海で死んだ者達が、生者を喰いに来るのだという。もしも海で事故があったら、遺体は必ず引き上げて供養してやらないと、海の底でそれに喰われて皆それになってしまう。

 Kさんは若い頃この話を全く信じていなかった。実際に外に出て行方知れずになった者がいると聞いても、化け物に喰われたとは思えない。古い因習を守ろうとする大人達を、馬鹿にしていた。

 51年前のその夜、Kさんは悪友達と3人で親の車に乗り、港のコンクリートの斜面に停車して、海の方を見ながら待っていた。それぞれ友人の家に泊まると言って出てきたが、親や祖父母達には「今日がなんの日か分かっとるな」と念を押されていた。誰も言い伝えを真に受けてはいないし、もしも何かがやってくるなら、正体を見てやろうじゃないかと笑い合った。

 数時間は喋ったり、飲んだり食べたり、ラジオを聴いたりして過ごしたものの、だんだん眠くなるし、退屈な徹夜になりそうだった。

 いつの間にか寝てしまったKさんが、肩を激しく揺さぶられて目を覚ますと、助手席の友達がフロントガラスを指差して慌てていた。後部座席の友人も「なんだこれは!」と叫んでいる。最初何を騒いでいるのか分からなかったが、目を凝らしてよく見ると、目の前で闇が蠢いていた。室内ライトを点灯すると、それは黒い小さな甲殻類のような生き物の群れだった。すぐにフロントガラスだけでなく、サイドも後部もその生き物で埋め尽くされ覆われて行った。

 Kさんは車を出そうとしたものの、タイヤが空回りして前にも後ろにも動かない。逃げようとすればするほど、じわじわとスロープを滑り落ちて、サイドブレーキをかけても止まらない。その先は海だった。

 カサカサ・カリカリ・ザワザワと音だけが聞こえ、全面が真っ黒になった。上にどれだけの数がいるのか、車が揺れて軋んでいた。俺達は車ごと海に引きずり込まれるんじゃないかと、怖くなった。

 何も出来ずにただ時間が経つ中、助手席の友達は喚き散らすし、後部座席の友人は泣き始めた。そしてついに足元に水が入って来た。たまらず助手席の友達が 「外に出て助けを呼んで来る!」と叫んだ。「やめろっ!」「ドアを開けるな!!」と止めようとしたが、振り切って出ようとした。

 ドアが開いたのは一瞬でほんの数センチだったのに、あの生き物が雪崩を打って車内に入り込んできた。三人がかりで、必死でドアを引っ張って閉めたが、それから車内はもう阿鼻叫喚の絵図になった。 

 噛み付くのか挟むのか、ただ触っただけでも駄目なのか、火傷するような鋭い痛みに悲鳴を上げながら、生き物を振り払い叩き、踏みつけて殺していった。最後の一匹を殺してもまだ、3人とも苦痛にのたうち回っていた。疲れ果てているのに、激しい痛みにじっとしていられなかった。いつの間にか、水も腰の辺りまで来ていて、さらにじわじわ水位が上がり、俺達はもう死ぬと思った。

 助かったのは車が水没する前に、朝日が昇ったからだ。

 陽の光が射した辺りから、波が引くように生き物が退いて、やがて嘘のように綺麗に居なくなった。

 3人はよれよれになって近くの家に助けを求め、病院に運ばれた。車は潮に持って行かれ、引き上げもできなかったし、親父にこっ酷く叱られた。

 34年前と17年前のこの日は、皆がKさん達の事件を覚えていて、厳重に警戒して誰も外に出なかった。しかしさらに17年が過ぎ、生々しい傷跡を見た人も減り、他所から来た住民もいる町で、外に出てしまう奴がいないか、Kさんは真剣に心配している。

2023-03-12

50.かまいたち

ずっと以前Fさんの通学路の途中には、野原があった。子供達は皆、近道としてそこを横断していた。「あの草むらには“かまいたち”が居るから近づくな」と、祖母に注意されても、気にしていなかった。

 その日、いつも何かにつけて対抗心をむき出しにしてくるクラスメイトと、言い争いをしながら野原を通った。きつい言葉を言われて、思わず手を出しそうになった時、悲鳴が上がった。クラスメイトの手のひらに、カミソリで切ったような痕があり、血が滴っていた。草で切れたのだろうが、あまりにもぴったりのタイミングだったので、もしかして自分は超能力者ではないかと考えたりした。
 数日後にまた同じクラスメイトと、同じ場所を歩く機会があり、Fさんはどうしても試してみたくなってしまった。「切れろ! 切れろ! 切れろっ!!」と強く念じると、腕の外側に、シュパッと一直線の傷が付いたのだ。

 家に帰ってこの話をすると、祖母は「お前は自分のしたことが分かっちょらん。“かまいたち”は戻ってくるんよ」と怒った。
 しかし数年も経つとFさんは、何もかもすっかり忘れてしまっていた。ある日学校で揉め事が起き、自分を小突きまわした奴を、思いっきり突き飛ばした。倒れ込んだ相手の頬が、耳から唇のあたりまで、ザックリと切れていた。すぐに病院に運ばれたものの、傷跡はずっと残っていた。Fさんは、野原でなくても“かまいたち”は出るのだと知った。

  さらに年月が経ち、働き始めたFさんが、書類の束をまとめる作業をしていると、突然手のひらが切れた。紙の端で切ったのかと思った。
 数日後、外を歩いていると急に痛みを感じ、確かめると腕の外側に一直線の傷が付いていた。
 “かまいたち”の件がふと頭に浮かんだのは、どちらの傷も昔見たのとよく似ていたからだ。あの時祖母が何と言っていたか、必死に思い出そうとした。
 “かまいたち”は何年も後になってから、ブーメランのように自分の元に戻ってくる⋯ではなかったか。
 Fさんは数年後が怖いのだと言った。

2021-07-20