51.迎え火

 昭和30年頃、彼女が小学生だった時の話。

 その日の夕刻、祖母から迎え火の番をしているように言いつけられ、彼女が庭に出ると、炎に向かって小さな弟が何かを投げていた。何をしているのか尋ねると「猫が帰って来るかもしれないと思って⋯」と言った。弟はふた月ほど前に、貰ったばかりの子猫に逃げられ、追いかけて道に飛び出したところを車にはねられた。猫は死に、弟も一時重体だった。
 祖父から、死んだ人の魂が戻ってくる目印だと聞いて、焚き火の中に、猫が好きそうな食べ物を入れたのだそうだ。辺りに肉や魚が焦げるような匂いが漂っていた。

 異変が起こったのは夜になってからだった。
 最初は仏壇に置いてある鈴が鳴った。この鈴は仏具のおりんではなく、母が別に置いたものだ。彼女の家では「帰って来たら合図の鈴を鳴らす」と、代々年長者から伝えられていた。実際かすかに鈴が鳴ることがあったし、この時点では母も喜んでいた。お菓子の袋をたくさん並べ、ジュースも注いで来てお供えした。
 しかしこの夜は、何度もはっきり鈴が鳴ったのだ。彼女は次第に気味悪くなったが、両親も祖父母も、平気な顔をしていた。子供達を怖がらせないように配慮していたのだろう。彼女と弟が先に2階に寝に行こうと、「おやすみなさい」をした途端、今度はお菓子の袋が幾つも落ちた。さすがに両親も祖父母も、顔を見合わせて黙り込んだ。

 彼女は自分の部屋で、なかなか寝付けなかった。夜半にようやく眠りかけた頃、物音で目が覚めた。
 パタパタと誰かが階下を走っている。足音と一緒に鈴の音もする。ドアが開いたり閉じたり、何かがドサッと落ちる音もした。「うふふふ」と笑い声が聞こえた時、ついにたまらなくなって泣き出した。彼女の泣きじゃくる声に気付いて、隣室から母が来てくれた。父は様子を見に降りて行き、祖父母も起きたようだった。そして「ぎゃっ!」と悲鳴が上がり、誰かが階段を駆け上がって来た。
 彼女と母は、両手に生肉をわし掴みにしたまま、笑っている彼を見た。
 弟だった。

2021-08-13

 ※「送り火」につづく。

52.送り火

 弟は一晩中走り、騒ぎ、父が止めようとしても、幼児とは信じられないくらいの力で振りほどいて逃げた。朝になって、ようやく眠ったので、父がおぶって母と病院に連れて行った。この時点ではまだ、事故の後遺症だと思っており、様々な検査をして夕方近くに帰って来た。母は貰ってきた薬を飲ませ、早めに弟を寝かしつけた。
 しかし日が暮れると、また鈴の音が聞こえ出した。どこかで軋む音がし、何かが割れるような音が響いた。引き出しが開き、食べ物が散乱し、弟は寝ているのに走り回る足音もして、家族は全員一部屋に集まり、夜明けまでやり過ごすしかなかった。
 次の日も暗くなると、同じ現象が起こった。家中がめちゃめちゃになり、どうしたらいいか分からないまま、皆が疲れ果てていた。彼女はいつの間にか眠っていた。

 4日目の昼過ぎ、彼女が目覚めると、父は仕事に行き、祖父母は親戚の家に出かけていて、母も大事な用事があると言う。「弟は寝ているから大丈夫。すぐ帰るから」と、彼女が怯えていたのに急いで出て行った。
 弟は起きていた。
 誰もいない場所に向かって「〇〇」と呼び掛けたり、囁いたり微笑んだりしていた。とても側にはいられないので、玄関先で家族の帰りを待った。
 やがて母が祖父母と知らない男の人を連れて来た。この人は線香の束のようなものに火を付け、煙を仰ぎながら家中を見て回った。家の外も一周歩き、迎え火を焚いた場所で立ち止まって、険しい顔をした。「何を燃やしたんですか」と問われて祖父母と母が首を傾げたので、彼女は弟のしていた事を教えた。男の人は塩のようなものを撒いて、お清めをした。

 その後父が帰ると、会社から借りて来た大型車に全員を乗せ、男の人の屋敷に向かった。そこはレンガ壁で囲まれた丸い塔のある小さな洋館で、広い庭に木々が茂っていた。洒落た屋敷だと思い印象に残った。
 彼女と祖父母は客間に通され、弟と両親は次の間に案内された。
 随分と長い間、低くお経のような声が聞こえているだけだった。真夜中になり、突然子供の悲鳴が聞こえたので、彼女も祖父母も驚いたが、すぐに戸が開いて「もう大丈夫です」と告げられた。両親に手を引かれて出て来た弟は、生気のない顔でグッタリしていた。
 両親と男の人が話している向こうの、次の間の奥に、彼女は中学生くらいの少年が立っているのを見た。少年は弟の両肩をつかんで押さえている。え? と思って両親の方に目を移すと、そこにも弟が居た。
 奥にいる弟は「お姉ちゃん。僕を置いていかないでよ。置いていかないで」と泣いていた。側に行こうとすると少年が「来てはいけません」と叫んだ。
 彼女は男の人に「早く外に出なさい」と促され、祖母に手を引っ張られて外に出された。入る時には誰も居なかったのに、庭の暗い木立の合間に大勢の人が立っていた。

 弟は何も覚えていなかった。
 雰囲気も変わっていた。やんちゃで手に負えない子だったのに、大人しく真面目な性格になっていた。
 家族でその話をするのはタブーになり、彼女はずっと心に引っかかるものを感じていた。弟は本物なのだろうか。“奥にいた弟”は今もあそこに居るのだろうか。
 彼女はあの屋敷を探し始めた。行ったのが夜だったので場所がよく分からない。似たような路地が入り組んだ地域で、見つけ出せないでいた。
 ある日彼女はばったりと祖母に出くわした。祖母は親戚の家の帰りだった。何故こんな所に来ているのか問われ、正直に答えた。祖母は近くの甘味処に彼女を連れて行き、詳しいいきさつを教えてくれた。
 弟は元々双子だった。もう一人は死産だった。
 両親はその子に〇〇と名前をつけ、お盆には戻って来てくれるよう毎年お菓子などをお供えしていた。弟が知るはずのないその名前を呼んでいるのを聞いて、これは頭を打った影響などではないと思った。親戚の家の近くに、狐憑きなどを直す霊能者がいると聞き、急いで連れて行ったのだった。お盆を過ぎてもあの世に返せないと、ずっと取り憑かれてしまうのだという。だからもうあの屋敷を探してはいけないし、弟にも喋ってはいけない。祖母と約束させられた。

 今でも彼女は時々思う。“奥にいた弟”はあの後どうなったのだろう。もう一度あの屋敷に行ってみたい。もう一度だけ、あの弟に会ってみたいと。

2021-08-13