61.糸

※生成AI画像を加工したものです。

 Nさんはある日、髪をとかしていて、ブラシに引っ掛かりを感じた。
 真後ろのうなじ部分なので、自分では見えない。鏡でもよく分からないので、そろそろ行こうかと予定していた美容院で、髪切りついでに見てもらおうと出掛けた。
 美容師は、特に絡んでいる部分もないと言って、普通にカットを済ませた。ところが翌日にまたブラシが絡み、友達からは一本だけ長い毛が出ていると指摘された。切り忘れだろうと思い、クレームをつけに立ち寄った。
 同じ美容師に丹念に確認してもらうと、手鏡を渡され椅子の向きを逆にして、「見ずらいかも知れませんけど、これ分かりますか?」と聞かれた。
 手鏡に映る背後の鏡の中の自分の肩に、一本だけ数センチ飛び出ている毛がある。
「これ髪の毛じゃありません。何か糸のようなものです」
 驚いていると美容師は「そっと引っ張ってみても良いですか」と言う。
 痛かったらすぐやめてと答え、やってみてもらうと、それは5センチほど伸びた。
 美容師は急に手を止めて「棘か何か刺さってます」と覗き込み、抜いて欲しいと頼んだので、毛抜きを取りに行った。
 抜かれても全く痛くはなかったが、何故そんなところにと考えていると、「あっ!」と小さな悲鳴が上がった。
 それは棘ではなく、1センチくらいの、とても短く細い縫い針で、黒い糸が付いていた。二人とも、理解できない事態に、しばらく黙り込んだ。
 気味が悪いので、その場で消毒してもらった後、病院でも診てもらい、出てきた針は実家のそばの神社に持ち込んで、始末してもらった。
 Nさんには、誰がいつ、何の為に、どうやって針を刺したのか、全く思い当たることが無いのだった。

2023-08-04

62.故障以外の原因

 Nさんは地方に出張し、営業所で借りた車で、一人で顧客の会社を目指していた。土地勘がないのでカーナビが頼りだった。
 しかし思ったより早く到着した目的地で、変だと思った。
 そこは田んぼや林しかなく、遠くに数軒の人家が見えるだけの、閑散とした道だった。
 自分が設定を間違えたのかと、もう一度目的地を入れ直すと、全く別の場所が示された。
 気を取り直して進み、しばらくしてある住宅街の片隅で、カーナビが目的地だと告げた。周りを探しても会社などがあるように見えない。
 機械の故障かもしれないが、もう一度入力してみると、また別の場所を示した。
 今度は無事に顧客のビルまで辿り着けた。
 仕事が終わって営業所に戻り、停めた車の横を通り抜ける時、後部座席のドアと窓に、ベッタリと目立つ手形が付いているのを見つけた。
 最初は確かに綺麗だったし、借りた営業車なので、拭いてから返そうとした。だがドアのは拭き取れたのに、窓のはゴシゴシ擦っても取れない。
 そこでNさんは気付いた。
 窓の手形は内側に付いていたのだ。

2023-12-31

63.あるはずがない

 Sさんがある海沿いの道を運転していた日のこと。
 急カーブが続く区間で、Sさんのバンを追い越していく家族連れのセダンがあった。その先はヘアピンなので「おいおいそんなに飛ばすなよ」と思った瞬間だった。カーブの先で、ドカン・ガシャンという大音響と共に悲鳴が聞こえた。
 スピードを落としてゆっくり角を曲がると、見えてきた光景に、Sさんは唖然としてしまった。
 道が突然途切れ、道沿いの丘と同じくらいの高さのコンクリート壁が、行く手を塞ぐように立ち上がっていたのだ。
 セダンは壁に衝突していた。車から出て怪我人を確かめようか、それともまず先に救急車かと、携帯を探している時、背後でまたドカン・ガシャンという大音響と共に悲鳴が聞こえた。後続車がSさんのバンに衝突し、Sさんは弾き飛ばされていた。
 救急車で病院に運ばれた後、事情聴取に来た警官に、壁のことを話すと「あぁ壁ね」とため息をついた。
 セダンの家族も壁に衝突したと言っていた。しかし壁なんて無かった。あるはずもない。現にセダンには、多重衝突で後ろからSさんの車にぶつけられた跡はあったが、フロントは綺麗で、家族全員大した怪我もなかった。
 そんなはずはないとSさんは主張したが、事故で頭を打った人と思われたのか、あまり話を聞いてもらえなかった。いずれにしても最初にあんな所に停車したセダンが悪いのだから、心配するなと言う。
 Sさんもあの道路は何度か走っているので、壁なんかあるはずないと思いつつも、釈然としない出来事だった。

2023-12-31

64.4回まわれば

 R子さんが10代の頃、ある男とドライブに行った。
 眺望が開けて海まで見渡せるとっておきの場所に、連れて行ってくれると聞いていた。
 しかし山道に入ってすぐのあたりで、おそらく曲がるところを間違えたらしい。この当時はカーナビも携帯も無かった。「あれ?」とか「ここじゃねぇな」とか呟いているので、R子さんが道路地図を調べて、こっちではないかと告げても無視する。「俺はここらの山は走り慣れてる」「黙って任せとけ」とそのまま進むのだった。
 1時間が過ぎ1時間半経ち、さすがに男もおかしいと思っていたらしい。「脇道がないかよく見ていてくれ」と言い出した。ずっと舗装されていない道路を、土埃を巻き上げながら走っていたので、窓が汚れていた。R子さんは窓を降ろし、顔を出して注意深く見ていた。
 片側が谷で片側が急斜面の森になっている細い道が、ずっと続いていた。しばらくして森の斜面の下に小さな作業小屋のような建物があるのを見つけた。小屋の前で椅子に座っている老婆がいる。老婆はこちらを向いて何か口を動かしていた。R子さんは「あのお婆さんに聞いてみよう」と言ったのに、男は車を止めなかった。「ここじゃ道が分かってもUターンできない」「分岐か広場に出るまで行くしきゃないだろ」とさらに進んでいった。
 数分後、また森の斜面の下に作業小屋が見え、老婆が座っていた。こちらを見ながら何か言っている。通り過ぎる時にそれがわらべ歌のようなものだと分かった。「3回まわれば⋯」後の部分は聞こえなかった。
 R子さんはゾッとした。「さっきのお婆さんだわ」「まっすぐな道のはずなのに戻ってるじゃない」男はR子さんの声が聞こえないかのように、無表情で運転していた。だが数分後、また斜面の下に作業小屋が見え、老婆が唄っていた。
「4回まわれば地獄行き」そう聞こえた。
 R子さんは気付いた。「今3回目だ」「4回まわったら⋯」耐えられなくなって男に車を止めるよう訴えた。男は車を止めた。額に汗が浮かんでいた。
 長い間黙って何か考えているようだったが、そろそろと車をバックさせ始めた。「戻るしかない」「道幅は狭いけどほぼ真っ直ぐだし、ずっと他の車は来なかった」「バックして抜け出せるかやってみる」泣き出してしまっていたR子さんに、「大丈夫だ」と言った男も青ざめていた。
 数分後、小屋の前に差し掛かると、老婆は膝を叩いてニヤリと笑った。
 さらに数分後、小屋の前で老婆は手を叩いて喜んでいるようだった。
 そして数分後、小屋の前で座っていた老婆は、立ち上がって小屋の中に消えた。
 その後すぐに広い道路に出て、二人で地図を見て場所を確認した。R子さんはもうどこにも行く気になれず、そのまま家に送ってもらった。
 この時の男とは2度とデートしなかったそうだ。

2023-12-31

65.絶望観覧車

 Uさんは新婚時代、妻と海外に出かけ、気ままなドライブ旅行を楽しんだ。
 その日いつもより長時間運転していたのは、宿泊の予定を変更して、大きな街まで行こうとしたからだった。その街で行われる新年のカウントダウンパーティを見たかった。
 少し疲れを感じてきても、妻は免許を持っていないし、予定変更を提案したのは自分だ。草原と丘が続くだけの変化しない風景が、余計眠気を誘った。だから遠くに何かキラキラした建築群が現れた時、ひと休みしようと判断した。
 道沿いにあった広い空き地に車を停め歩いて行くと、それは夕陽に照らされた遊園地の廃墟だった。閉園して長いのか、入り口のフェンスも傾いており、簡単に入れる状態だった。
 妻は「ちょっと怖い」と言ったのだが、Uさんは面白がってどんどん進んでいった。いくつかのボロボロになった乗り物と、売店だったらしい小さな建物が並んでいて、奥には立派な観覧車があった。
 観覧車まで進むと、Uさんは扉が開いていたゴンドラに乗り込み、妻を誘った。妻は「錆びているし危ないわよ」と拒んだ。Uさんも仕方なく降りようとしたら、ゴンドラがガクンと大きく揺れた。揺れの衝撃で閉まって、立て付けの悪くなっている扉を、ガタガタ開けようとしている間に、今度はいきなり上昇し始めた。妻は慌てて操作室に飛び込み、あちこちいじっていた。しかしすぐに「何も反応しない!電気が来てない!」と叫んだ。
 Uさんのゴンドラは最高地点で止まった。
 扉をこじ開けて確かめると、思ったよりかなりの高さだった。手や足が届く位置に柱もない。さらにゴンドラの壁面を、落ちそうになりながら探っても、屋根に登る手がかりになりそうなものが無かった。Uさんはゴンドラを揺らしたりジャンプしたり押してみて、動かないか試した。ギシギシ軋み続けて、ただ揺れるだけだった。妻も下で必死に引っ張ろうとしていた。さっきは勝手に回ったのに、何をどうしてもびくともしないのだった。
 この時代まだ携帯電話は普及していなかった。妻が歩いて行ける範囲に家などがあるかどうかも判らないし、ほとんど外国語が話せないのに、ひとりで危険な目に遭わせたくなかった。
 すでに日が暮れていた。
 風が吹き始めどんどん気温が下がり、立っているだけでなすすべのない妻を、車内に戻らせた。近づいてくる車があったら、助けを求めてくれと頼んだ。よりによって周辺に何もない田舎道で、今日は12月の31日だ。普段通る車も今夜は来ないだろう。判っていたもののの、他に方法を思いつかない。
 鉄製のゴンドラの中は、隙間風が吹き抜け冷たく、やがてUさんの体は、激しい震えが止まらなくなった。極限の寒さに襲われ、すでに頭も働かなくなり、ただ寒くて疲れてしんどいのだった。いつの間にか眠ってしまった。

 夏の夢を見た。
 明るい日差しの元で、楽しそうに駆け回る子供達がいた。見守る親が居た。自分はベンチで仲良く寄り添うカップルの片方になっていた。この遊園地が開業していた頃だろうか。いつまでも眺めていたい暖かい光景だった。
 アイスクリームスタンドの先に、ジェットコースターが見える。すごい勢いで下って来て、そのままのスピードでこちらに向かってカーブを曲がりかけ、飛んで来た。文字通り飛んでくるように見えた。コースターが迫ってくるのをスローモーションのように目撃して、次の瞬間首が折れ、胸が潰され、痛みに貫かれながら下敷きになり、息が詰まって目の前が真っ暗になった。たくさんの悲鳴と轟音だけが聞こえていた。
 目が覚めた。
 あまりにリアルな夢だった。もう絶対眠りたくなかった。しかし震えで倒れそうなほど寒く、さらに疲れてしんどかった。耐え難かった。
 観覧車が回っていた。
 Uさんはこれで降りられると喜んだ。しかし気付くと昼間だし、他の乗り物も動いていて何かおかしい。今は高い位置で危ないのに、何故か扉を開けて下を覗き込んだ。そしてためらわず飛び降りた。地面にぶつかると手足が弾けるように折れ曲がり、顔が割れた。衝撃の後もしばらく痙攣していた。
 ものすごい音で目が覚めた。
 Uさんは自分の全身が砕ける音かと勘違いした。だが妻の呼ぶ声が聞こえた。はっと我に返ると、妻が連れてきた数人の男が、観覧車にケーブルを掛けて、トラックで引っ張ろうとしているところだった。鉄板が歪んで壊れそうだったが、次第に動き出し、ゆっくりと地上に着いた。Uさんはもう立ち上がる事も出来ないほど凍えており、男達に支えられて車まで戻った。毛布に包まれ暖房にあたり、やっと落ち着いて顔を上げると、はるか遠くの空に、次々と小さく花火が上がっていた。「ハッピーニューイヤー」と声を掛けられ、あれは街のカウントダウンパーティの花火だと説明された。
 男達は「生き延びて新年を迎えられたな」と笑って去って行った。

2023-12-31