65.絶望観覧車

 Uさんは新婚時代、妻と海外に出かけ、気ままなドライブ旅行を楽しんだ。
 その日いつもより長時間運転していたのは、宿泊の予定を変更して、大きな街まで行こうとしたからだった。その街で行われる新年のカウントダウンパーティを見たかった。
 少し疲れを感じてきても、妻は免許を持っていないし、予定変更を提案したのは自分だ。草原と丘が続くだけの変化しない風景が、余計眠気を誘った。だから遠くに何かキラキラした建築群が現れた時、ひと休みしようと判断した。
 道沿いにあった広い空き地に車を停め歩いて行くと、それは夕陽に照らされた遊園地の廃墟だった。閉園して長いのか、入り口のフェンスも傾いており、簡単に入れる状態だった。
 妻は「ちょっと怖い」と言ったのだが、Uさんは面白がってどんどん進んでいった。いくつかのボロボロになった乗り物と、売店だったらしい小さな建物が並んでいて、奥には立派な観覧車があった。
 観覧車まで進むと、Uさんは扉が開いていたゴンドラに乗り込み、妻を誘った。妻は「錆びているし危ないわよ」と拒んだ。Uさんも仕方なく降りようとしたら、ゴンドラがガクンと大きく揺れた。揺れの衝撃で閉まって、立て付けの悪くなっている扉を、ガタガタ開けようとしている間に、今度はいきなり上昇し始めた。妻は慌てて操作室に飛び込み、あちこちいじっていた。しかしすぐに「何も反応しない!電気が来てない!」と叫んだ。
 Uさんのゴンドラは最高地点で止まった。
 扉をこじ開けて確かめると、思ったよりかなりの高さだった。手や足が届く位置に柱もない。さらにゴンドラの壁面を、落ちそうになりながら探っても、屋根に登る手がかりになりそうなものが無かった。Uさんはゴンドラを揺らしたりジャンプしたり押してみて、動かないか試した。ギシギシ軋み続けて、ただ揺れるだけだった。妻も下で必死に引っ張ろうとしていた。さっきは勝手に回ったのに、何をどうしてもびくともしないのだった。
 この時代まだ携帯電話は普及していなかった。妻が歩いて行ける範囲に家などがあるかどうかも判らないし、ほとんど外国語が話せないのに、ひとりで危険な目に遭わせたくなかった。
 すでに日が暮れていた。
 風が吹き始めどんどん気温が下がり、立っているだけでなすすべのない妻を、車内に戻らせた。近づいてくる車があったら、助けを求めてくれと頼んだ。よりによって周辺に何もない田舎道で、今日は12月の31日だ。普段通る車も今夜は来ないだろう。判っていたもののの、他に方法を思いつかない。
 鉄製のゴンドラの中は、隙間風が吹き抜け冷たく、やがてUさんの体は、激しい震えが止まらなくなった。極限の寒さに襲われ、すでに頭も働かなくなり、ただ寒くて疲れてしんどいのだった。いつの間にか眠ってしまった。

 夏の夢を見た。
 明るい日差しの元で、楽しそうに駆け回る子供達がいた。見守る親が居た。自分はベンチで仲良く寄り添うカップルの片方になっていた。この遊園地が開業していた頃だろうか。いつまでも眺めていたい暖かい光景だった。
 アイスクリームスタンドの先に、ジェットコースターが見える。すごい勢いで下って来て、そのままのスピードでこちらに向かってカーブを曲がりかけ、飛んで来た。文字通り飛んでくるように見えた。コースターが迫ってくるのをスローモーションのように目撃して、次の瞬間首が折れ、胸が潰され、痛みに貫かれながら下敷きになり、息が詰まって目の前が真っ暗になった。たくさんの悲鳴と轟音だけが聞こえていた。
 目が覚めた。
 あまりにリアルな夢だった。もう絶対眠りたくなかった。しかし震えで倒れそうなほど寒く、さらに疲れてしんどかった。耐え難かった。
 観覧車が回っていた。
 Uさんはこれで降りられると喜んだ。しかし気付くと昼間だし、他の乗り物も動いていて何かおかしい。今は高い位置で危ないのに、何故か扉を開けて下を覗き込んだ。そしてためらわず飛び降りた。地面にぶつかると手足が弾けるように折れ曲がり、顔が割れた。衝撃の後もしばらく痙攣していた。
 ものすごい音で目が覚めた。
 Uさんは自分の全身が砕ける音かと勘違いした。だが妻の呼ぶ声が聞こえた。はっと我に返ると、妻が連れてきた数人の男が、観覧車にケーブルを掛けて、トラックで引っ張ろうとしているところだった。鉄板が歪んで壊れそうだったが、次第に動き出し、ゆっくりと地上に着いた。Uさんはもう立ち上がる事も出来ないほど凍えており、男達に支えられて車まで戻った。毛布に包まれ暖房にあたり、やっと落ち着いて顔を上げると、はるか遠くの空に、次々と小さく花火が上がっていた。「ハッピーニューイヤー」と声を掛けられ、あれは街のカウントダウンパーティの花火だと説明された。
 男達は「生き延びて新年を迎えられたな」と笑って去って行った。

2023-12-31

43.眼

 Lさんが大学生の時、初めての彼女が出来た。当時2時間近くかけて自宅から通学していたので、便利な場所で一人暮らしをしたくてたまらなかった。そうすれば彼女とも、好きなだけ一緒に居られる。

 帰りが遅くなったある夜、大学の構内で先輩に声を掛けられた。「部屋を探してるんだろう?」彼が住んでいたアパートが、破格の値段で借りられると教えてくれた。あまり話した覚えのない男だったが、あちこちで安い部屋がないか尋ねて回っていたので、誰かに聞いたのだろうと思った。

 次の日そのアパートを見に行って大家に会った。大学3年だと伝えると、ちょうど良いと言う。取り壊しの予定があるので、卒業までなら安い値段で住んで良いそうだ。Lさんは引っ越しを決めた。

 その部屋は隙間風が吹き込んでとても寒く、壁の継ぎ目から明かりが漏れるようなボロ屋だった。それでもLさんは彼女と過ごせるだけで嬉しかった。あの晩小さな亀裂に気付くまでは…。

 壁と柱の間の低い位置に、亀裂があった。そこから射し込む隣の部屋の明かりが、大きくなったように感じた。屈み込んで確かめると、目が合った。向こうからもこちらを覗き込んでいた。
 Lさんはギョッとして、すぐにそこを塞ぐように家具を置いた。彼女には黙っていた。しかしそれ以降彼女は、異臭がすると訴え始めた。次第に自分でも匂いが分かるようになり、大家が確認すると、隣の部屋の住人が首を吊っていた。
   先輩だった。

 今でも信じられないのが、警察の鑑定による彼の死亡時期は、Lさんが亀裂の眼を見た晩よりも、かなり前だった事だ。

2020-04-03 21:19 

28.雨男

  ある小学校の児童の間で噂が広がった時期がある。雨の日になると校門前に現れる男の、顔を見たら死ぬのだという。
  その男は黒い大きな傘を目深にさしていて、首から上は隠れている。雨が降るといつの間にか現れ、長い時間ただ黙って立っていた。校門を出る時はみんな、男の方を見ないように、走って通り過ぎていた。
  ところがある日児童の一人が、ちょうど男の目の前で転んだ。その子は立ち上がる時、ちらっと顔を見てしまった。「うわわぁ!」と叫んで走り出し、先の交差点で車にはねられた。以前にも事故の起こった場所だった。

  救急車が到着するまで側にいた友達は、その子が話すのを聞いていた。「泣いてたんだよ。ボロボロ泣いてた」「死ぬぞって言ってた」 救急車に乗るまでは会話もできたのに、病院で容体が急変した。この事件以降、雨男は見かけなくなった。

 ずっと後になって、あれは最初の事故で子供を亡くし、自殺したお父さんだったのではないかと言われるようになった。
  今はこの小学校も統廃合で無くなっている。

2019-05-11