68.呪いは解き放たれたのか

 Wさんが会社を起こした当時、オフィス街の中に、かなりの狭小4階建てビルが一棟だけあった。再開発の立ち退きを拒んで残った家が、結局後で土地を売ったとかの事情だと思った。大きなスペースはいらないし、3階フロアはかなりの格安で借りられると聞いて、Wさんはそこに事務所を置こうと決めた。
 契約の時大家は、色々と詮索するような質問をして、最初は不快だった。ひとりで残業するかとか、休日や年末年始に出社するかとか、あんたになんの関係がと言いかけたが、唐突に「幽霊を信じるか」と聞かれて笑ってしまった。しかし大家は真顔で、「実はここ出るんですよ」と言った。
 3階だけいくつもの会社が1年と経たずに退去してしまったそうだ。Wさんは笑い飛ばしたが、前の会社もその前の人も、最初は全く信じていなかった。だが階段から足を踏み外す事故などもあり、やはり気味が悪くなって去っていった。
 幽霊はひとりでいる時にしか出ない。出るのはエレベーターと階段のある廊下。オフィス内には入ってこない。だから廊下を歩く時は気をつけてほしい。しつこく注意されたので、何か“出る理由”があるのか尋ねてみた。

 大家はしばらく考えてから、理由かどうか判らないと断った上で話してくれた。
 最初の事故は、屋上に水タンクの点検に来ていた業者だった。屋上から4階に降りる階段で、落ちて死んだのだ。
 続いてこの事故の調査に来ていた警察官が、4階から3階へ落ちて死んだ。直線で少し急な階段だとしても、続けて二人が亡くなったのには驚いた。それから3階では、誰かが歩き回る足音が聞こえたり、ドアのすりガラスに人影が映るようになった。さらに3階でも階段で大怪我をした人がいる。
 ここまで聞かされてもWさんは動じなかった。エレベーターだけ使っていれば問題ないじゃないかと。
 ただ自分は気にしなくても、一緒に働いていた妻や同僚には、万が一のことがないように、ドアの位置をエレベーターのすぐ横に付け変えた。帰る時には必ずエレベーターに乗り込むまで見送った。階段は絶対使わないように伝えておいた。
 実際夜遅くまで残って仕事をしていると、廊下から足音が聞こえ、不気味だっものの、数年間実害はなかったのだ。

 その夜、商談に来ていた客を見送ろうとして、渡しておかなければならない書類を忘れていたのに気づいた。取ってくるから待っていてくれと、事務所の中で制したのに、客は先に廊下に出てしまった。すぐに追いかけたので30秒も経っていなかったはずだ。なのに姿が見えなかった。
 嫌な予感がして階段を見た。居ない。ただ廊下の端の窓が何故か開いていた。
 客は窓から落下していた。
 警察に色々聞かれても、Wさんにも訳が分からなかった。自殺で片付けられたものの、かなり無理があった。
 翌日にはビルの前の通りで自動車事故もあり、Wさんはやはりここは呪われた場所なのかもしれないと思った。
 結局事務所を移転した。

 出て行く挨拶に言った時、大家は憔悴したWさんを気にかけていた。
 その後もしばらくは年賀状などのやり取りをしていて、ある日偶然街で出会い、喫茶店で少し話をした。
 あのビルの一帯は元々大家の先祖からの地所だった。あの場所には小さな祠があり、祖父の代までは丁寧に祀られていた。ビル経営を始めた時も、祠の場所だけは避けた。祖父が死に父の代になって、遊ばせておくのはもったいないと、そこにも小さなビルを建てた。祠は屋上に移された。強硬に反対していた祖母は「悪いことが起きる」と、毎日供物を運んで拝んでいた。その祖母が亡くなってから、事件が起こり始めたのだ。
「あれは祀っていれば守神となり、おろそかにすれば祟り神になると教えられていたんですよ」父も自分も馬鹿だったと大家は言った。お祓いをしてもらったり、祀り直しの儀式を取り行ったり、考えられる対策はしたそうだ。
 自殺の件の翌日の交通事故も、あのビルから出てきた人が起こしたもので、急発進した車をそのまま暴走させ、直線が行き止まりになる所で、曲がり切れず壁に突っ込んでいた。その後も先の道路で、同じような事故があったと聞いた。
 大家は屋上にいた何かが、人を生け贄にしながら移動していると、信じきっていた。
 そして大家からの年賀状が来なくなった頃、しばらく前からビル事業がうまくいかなくなっていたと、、人づてに知らされた。
 財産のほとんどをなくした上に病死したそうだ。

2024-02-03

66.秘密の通路の暗闇の底

 昭和30年代のある年の暮れのこと。
 Tさんには事情があって、12月の31日だというのに行く所がなく、安宿街を彷徨っていた。
 どこの宿でも断られ、最初にここは高そうだと敬遠した立派な構えの旅館まで、戻って来てしまった。日も沈んで凍えるように寒く、もう他の街まで行く気力もない。
 駄目で元々と思い玄関をくぐると、すぐ横にあった帳場から女将が顔を出し、Tさんが尋ねるより早く「今日は満員ですよ」と告げた。Tさんは、「布団部屋でもどこでも構わない、一晩だけ泊めてもらえないか」「食事も要らないので」と粘った。
 最初は無理だと言っていた女将が、Tさんの窮状を察したのか、しばらく考えたのち、「本当にどんな部屋でも良いのですね」と念を押した。「あとで文句を言われても困るし、騒がれては他の客に迷惑だから」とさらに念押しされても、Tさんは「大丈夫大丈夫」と答えた。
 通されたのは長い廊下を幾度も曲がった先の、さらに細い通路にある小部屋だった。
 左に窓・右は壁・奥にもう一つ扉があるだけの簡素な作りだったが、こたつが置いてあり、冷え切った体にありがたかった。女将は女中に布団を敷かせ、お茶と茶菓子と手拭いを用意してくれた。Tさんは、提示された格安の宿賃から想像していたより、きちんとしているなと思った。だが女将はまた「大晦日から元旦は目が回るほど忙しいのだから、もう呼びつけたりしないで欲しい」「とにかく朝まで静かにしていてくれ」と釘を刺した。特に、「奥の扉は絶対に開けないで」と、強い口調で注意して立ち去った。
 Tさんは体が温まり、とりあえずの安堵感もあって、いつの間にかうたた寝していた。

 目を覚ますと、遠くに宴会のにぎやかな声が聞こえていたので、まだ夜半だったのだろう。便所に立って戻ると、今度は目が冴えて眠れなくなった。色々考え事をしていたが、開けるなと言われた奥の扉が気になり始めた。
 その扉には、こちら側から太いかんぬきが掛けてある。あれほどきつく言う事情は何なのだろう。そっと中を窺ってもまた元通りに閉めておけば、ばれやしないはずだ。
 Tさんはついに、少しだけ扉を開けてみた。
 そこは真っ暗な廊下だった。
 廊下の突き当たりの扉の下から、灯りが漏れている。
 つまり今いる部屋は、灯りが漏れている部屋に、誰にも会わずに行く為の、次の間のようなものなのか。向こうの部屋を覗かれてはいけないので、開けるなと言ったのか。
 Tさんが納得して閉める寸前、暗い床が蠢いたように見えた。
 確かめようともう一度扉を広く開け、部屋の明かりで照らすと、黒い影が這いずるようにしてこちらを向いた。
 着物を着て上半身を起こした小柄な少女だった。
 12、3歳くらいなのに、大人の男をぞっとさせるような、嫌な薄笑いを浮かべていた。Tさんは自分の人生で、あれ程ひと目で邪悪と分かるような存在を、他に知らないという。
 戸惑っていると、少女はいきなり立ち上がり、素早くこちらに向かって来た。慌てて扉を閉めた。開けてはいけない理由はこれだと悟った。
 それから扉越しに、「開けて」「助けて」と懇願する声が聞こえた。しかしTさんにはどうしても、助けて良い者には感じられなかった。しばらく頼んでも開けてもらえないと今度は、「寒いから温めてほしい」などと囁くのだった。しかしその囁きも、底知れない闇の匂いを漂わせていた。
 少女は一晩中喋り続け、何とかして扉を開けさせようとした。Tさんは耐えた。
 恐ろしく長い夜だった。
 やがてとうとう話すのをやめ、すすり泣きが聞こえるようになっても、可哀想だとは思えなかった。疲れ切って、ただただ早く夜が明けてくれと祈りながら、うつらうつらしていた。

 新年の遅い朝日が窓に差し込んでいるのに気付いた時、これでやっとここから出て行けると、心底ほっとした。
 扉の向こうからは低い唸り声がしていた。
 じきに部屋が陽の光で満たされると「あぁ!」と短い叫びが上がり、、Tさんは思い切ってまた扉を開けた。少女が何者か、どうなったか確かめてから出発したかった。
 だがその廊下に人の姿はなかった。探しても入れる場所もなく、奥の扉は向こう側から施錠されていた。
 ただ中央あたりに、横になったヒト形の、どす黒いしみがあるだけだった。

2023-12-31

60.外を見てはいけない日

 Mさんの実家は代々庄屋で、近代になっても親族が村長などを務め、祭りなども取り仕切って来た。

 この村には神様が通る日というのがある。神官や村長など限られた役職の数人だけが、村外れの丘に登り、お迎えの儀式を行う。他の者は雨戸を閉ざして家にこもり、外に出てはならない決まりだった。神様は姿を見られるのを嫌うのだ。Mさんも子供の時分から、掟を守るよう固く言いつけられていた。M家の者は村人の見本にならなければいけないと、厳しく躾けられて逆らってはならなかった。

 高校生の頃、祖父が儀式の為に家を出る際、念を押すようにわざわざMさんに「外を見るなよ」と言った。信用されていないようで、ムッとした。祖父はいつも、Mさんにだけ特にうるさかった。

 この日は祖母や母など女衆は、宴席の用意で忙しく、父や兄は儀式の手伝いで神社に行く。いつも一緒だった下の兄も、この年から手伝いに参加していた。

 一人で暇だったMさんに、外を見てやろうかという考えが浮かんだ。丘の神域や神社以外には誰も出ていないのだから、家の者にさえ気付かれなければ、前の道を通るという神様が見られるかもしれない。ラジオをつけっぱなしにして居るように装い、自室の窓からそっと庭に出た。庭に面した裏木戸を少しだけ開けて、道の様子を覗うと、やはり誰も居ない。電柱と塀の間に隠れて神様が来るのを待った。

 神様は割とすぐにやって来た。道のずっと先から、赤い着物を着て赤い面を被った誰かが歩いて来る。

 なんだ人間じゃないかとガッカリした時、突然バケツの水をぶっかけられた。いつの間にか後ろから来ていた別の者がいて、やはり赤い面を着けていた。頭からモロに浴びせられて驚き慌てたMさんは、急いで家に引っ込んだ。

 自室に戻って服を見たら、真っ赤に染まっていた。洗面所に駆け込み鏡を見ると、顔も真っ赤だった。

それから一週間ほど、顔や手の赤い色は取れなかった。もちろん家族にバレたし、祖父にきつく怒られた。一族の恥だとまで言われ、元に戻るまで家から出してもらえなかった。

 この行事は元々、村の掟に従わない者を、炙り出す目的で始まったのだと聞かされた。

 Mさんはこの村を出る決心をした。

2021-03-14

59.山に行ってはいけない日

 Lさんの家の裏山には、入ってはいけない日が定められていた。神が降りて来る日で、その姿を見たら気が狂うと、伝えられていた。行ってはいけないのはたった1日だし、わざわざその日に山に行く人もいなかった。

 ある年の山封じの翌日、隣村に住む女が、夫の様子がおかしくなったと、Lさんの家に駆け込んで来た。昨日山から帰って以来、ずっと水も飲めなくなり、なんとかして欲しいと言う。どうやらこの時期に生えている高く売れる薬草を狙って、こっそり裏山に入ったようだ。しかし裏山を祀る地主だからと、Lさんの家に来られても、Lさん達にもどうしたら良いか分からない。祖父母や年寄り連中も、助ける方法は知らなかった。ただ禁忌を破った者は土地を去れと、聞かされていただけだった。

 女の夫は前日、山の中を歩いていて、地響きを感じた。山崩れかもしれないので、急いで高くなっている方に避けた。すぐに上の方からビチャビチャずるずると音がして、赤い水が流れて来た。だが脇を下って行くのを見ると、それは水ではなく、とても長いミミズのような生き物の大群だった。 群れはあっという間に下へ落ちて、視界から消えた。

 家に戻った男は、水を飲もうとして口を付けたコップを、驚いて取り落とした。糸ミミズが入っていた。何故コップにと思ったが、蛇口から水を汲み直そうとすると、糸ミミズが湧いて出た。

 夕飯の汁物にもミミズが蠢いており、家中にある水という水全部、風呂の中さえミミズでいっぱいだった。水分のあるものは、すべて受け付けなくなってしまった。

 結局男は衰弱して町の病院に運ばれた。点滴や栄養剤で回復したものの、家に戻って来ると、また同じ症状が出る。これを繰り返した後、山から離れれば正気に戻ると気付いて、村を去って行ったのだった。

2023-03-13

58.海に行ってはいけない日

 Kさんの住む小さな港町では、17年に1度だけ特定の日に、夜になったら屋内に入って、朝まで決して外に出てはいけないと教えられて来た。海を見てもいけないので、海が見える範囲の家々では、厳重に戸締りして明け方まで籠っていた。

 この手の言い伝えは各地にあると思うが、この集落のものは少し変わっていて、海で死んだ者達が、生者を喰いに来るのだという。もしも海で事故があったら、遺体は必ず引き上げて供養してやらないと、海の底でそれに喰われて皆それになってしまう。

 Kさんは若い頃この話を全く信じていなかった。実際に外に出て行方知れずになった者がいると聞いても、化け物に喰われたとは思えない。古い因習を守ろうとする大人達を、馬鹿にしていた。

 51年前のその夜、Kさんは悪友達と3人で親の車に乗り、港のコンクリートの斜面に停車して、海の方を見ながら待っていた。それぞれ友人の家に泊まると言って出てきたが、親や祖父母達には「今日がなんの日か分かっとるな」と念を押されていた。誰も言い伝えを真に受けてはいないし、もしも何かがやってくるなら、正体を見てやろうじゃないかと笑い合った。

 数時間は喋ったり、飲んだり食べたり、ラジオを聴いたりして過ごしたものの、だんだん眠くなるし、退屈な徹夜になりそうだった。

 いつの間にか寝てしまったKさんが、肩を激しく揺さぶられて目を覚ますと、助手席の友達がフロントガラスを指差して慌てていた。後部座席の友人も「なんだこれは!」と叫んでいる。最初何を騒いでいるのか分からなかったが、目を凝らしてよく見ると、目の前で闇が蠢いていた。室内ライトを点灯すると、それは黒い小さな甲殻類のような生き物の群れだった。すぐにフロントガラスだけでなく、サイドも後部もその生き物で埋め尽くされ覆われて行った。

 Kさんは車を出そうとしたものの、タイヤが空回りして前にも後ろにも動かない。逃げようとすればするほど、じわじわとスロープを滑り落ちて、サイドブレーキをかけても止まらない。その先は海だった。

 カサカサ・カリカリ・ザワザワと音だけが聞こえ、全面が真っ黒になった。上にどれだけの数がいるのか、車が揺れて軋んでいた。俺達は車ごと海に引きずり込まれるんじゃないかと、怖くなった。

 何も出来ずにただ時間が経つ中、助手席の友達は喚き散らすし、後部座席の友人は泣き始めた。そしてついに足元に水が入って来た。たまらず助手席の友達が 「外に出て助けを呼んで来る!」と叫んだ。「やめろっ!」「ドアを開けるな!!」と止めようとしたが、振り切って出ようとした。

 ドアが開いたのは一瞬でほんの数センチだったのに、あの生き物が雪崩を打って車内に入り込んできた。三人がかりで、必死でドアを引っ張って閉めたが、それから車内はもう阿鼻叫喚の絵図になった。 

 噛み付くのか挟むのか、ただ触っただけでも駄目なのか、火傷するような鋭い痛みに悲鳴を上げながら、生き物を振り払い叩き、踏みつけて殺していった。最後の一匹を殺してもまだ、3人とも苦痛にのたうち回っていた。疲れ果てているのに、激しい痛みにじっとしていられなかった。いつの間にか、水も腰の辺りまで来ていて、さらにじわじわ水位が上がり、俺達はもう死ぬと思った。

 助かったのは車が水没する前に、朝日が昇ったからだ。

 陽の光が射した辺りから、波が引くように生き物が退いて、やがて嘘のように綺麗に居なくなった。

 3人はよれよれになって近くの家に助けを求め、病院に運ばれた。車は潮に持って行かれ、引き上げもできなかったし、親父にこっ酷く叱られた。

 34年前と17年前のこの日は、皆がKさん達の事件を覚えていて、厳重に警戒して誰も外に出なかった。しかしさらに17年が過ぎ、生々しい傷跡を見た人も減り、他所から来た住民もいる町で、外に出てしまう奴がいないか、Kさんは真剣に心配している。

2023-03-12