SUZUさんの体験・1 子供の頃、田舎に帰る時に起こった話
2024-01-04
SUZUさんの体験・1 子供の頃、田舎に帰る時に起こった話
2024-01-04

昭和30年代のある年の暮れのこと。
Tさんには事情があって、12月の31日だというのに行く所がなく、安宿街を彷徨っていた。
どこの宿でも断られ、最初にここは高そうだと敬遠した立派な構えの旅館まで、戻って来てしまった。日も沈んで凍えるように寒く、もう他の街まで行く気力もない。
駄目で元々と思い玄関をくぐると、すぐ横にあった帳場から女将が顔を出し、Tさんが尋ねるより早く「今日は満員ですよ」と告げた。Tさんは、「布団部屋でもどこでも構わない、一晩だけ泊めてもらえないか」「食事も要らないので」と粘った。
最初は無理だと言っていた女将が、Tさんの窮状を察したのか、しばらく考えたのち、「本当にどんな部屋でも良いのですね」と念を押した。「あとで文句を言われても困るし、騒がれては他の客に迷惑だから」とさらに念押しされても、Tさんは「大丈夫大丈夫」と答えた。
通されたのは長い廊下を幾度も曲がった先の、さらに細い通路にある小部屋だった。
左に窓・右は壁・奥にもう一つ扉があるだけの簡素な作りだったが、こたつが置いてあり、冷え切った体にありがたかった。女将は女中に布団を敷かせ、お茶と茶菓子と手拭いを用意してくれた。Tさんは、提示された格安の宿賃から想像していたより、きちんとしているなと思った。だが女将はまた「大晦日から元旦は目が回るほど忙しいのだから、もう呼びつけたりしないで欲しい」「とにかく朝まで静かにしていてくれ」と釘を刺した。特に、「奥の扉は絶対に開けないで」と、強い口調で注意して立ち去った。
Tさんは体が温まり、とりあえずの安堵感もあって、いつの間にかうたた寝していた。

目を覚ますと、遠くに宴会のにぎやかな声が聞こえていたので、まだ夜半だったのだろう。便所に立って戻ると、今度は目が冴えて眠れなくなった。色々考え事をしていたが、開けるなと言われた奥の扉が気になり始めた。
その扉には、こちら側から太いかんぬきが掛けてある。あれほどきつく言う事情は何なのだろう。そっと中を窺ってもまた元通りに閉めておけば、ばれやしないはずだ。
Tさんはついに、少しだけ扉を開けてみた。
そこは真っ暗な廊下だった。
廊下の突き当たりの扉の下から、灯りが漏れている。
つまり今いる部屋は、灯りが漏れている部屋に、誰にも会わずに行く為の、次の間のようなものなのか。向こうの部屋を覗かれてはいけないので、開けるなと言ったのか。
Tさんが納得して閉める寸前、暗い床が蠢いたように見えた。
確かめようともう一度扉を広く開け、部屋の明かりで照らすと、黒い影が這いずるようにしてこちらを向いた。
着物を着て上半身を起こした小柄な少女だった。
12、3歳くらいなのに、大人の男をぞっとさせるような、嫌な薄笑いを浮かべていた。Tさんは自分の人生で、あれ程ひと目で邪悪と分かるような存在を、他に知らないという。
戸惑っていると、少女はいきなり立ち上がり、素早くこちらに向かって来た。慌てて扉を閉めた。開けてはいけない理由はこれだと悟った。
それから扉越しに、「開けて」「助けて」と懇願する声が聞こえた。しかしTさんにはどうしても、助けて良い者には感じられなかった。しばらく頼んでも開けてもらえないと今度は、「寒いから温めてほしい」などと囁くのだった。しかしその囁きも、底知れない闇の匂いを漂わせていた。
少女は一晩中喋り続け、何とかして扉を開けさせようとした。Tさんは耐えた。
恐ろしく長い夜だった。
やがてとうとう話すのをやめ、すすり泣きが聞こえるようになっても、可哀想だとは思えなかった。疲れ切って、ただただ早く夜が明けてくれと祈りながら、うつらうつらしていた。

新年の遅い朝日が窓に差し込んでいるのに気付いた時、これでやっとここから出て行けると、心底ほっとした。
扉の向こうからは低い唸り声がしていた。
じきに部屋が陽の光で満たされると「あぁ!」と短い叫びが上がり、、Tさんは思い切ってまた扉を開けた。少女が何者か、どうなったか確かめてから出発したかった。
だがその廊下に人の姿はなかった。探しても入れる場所もなく、奥の扉は向こう側から施錠されていた。
ただ中央あたりに、横になったヒト形の、どす黒いしみがあるだけだった。
2023-12-31

Uさんは新婚時代、妻と海外に出かけ、気ままなドライブ旅行を楽しんだ。
その日いつもより長時間運転していたのは、宿泊の予定を変更して、大きな街まで行こうとしたからだった。その街で行われる新年のカウントダウンパーティを見たかった。
少し疲れを感じてきても、妻は免許を持っていないし、予定変更を提案したのは自分だ。草原と丘が続くだけの変化しない風景が、余計眠気を誘った。だから遠くに何かキラキラした建築群が現れた時、ひと休みしようと判断した。
道沿いにあった広い空き地に車を停め歩いて行くと、それは夕陽に照らされた遊園地の廃墟だった。閉園して長いのか、入り口のフェンスも傾いており、簡単に入れる状態だった。
妻は「ちょっと怖い」と言ったのだが、Uさんは面白がってどんどん進んでいった。いくつかのボロボロになった乗り物と、売店だったらしい小さな建物が並んでいて、奥には立派な観覧車があった。
観覧車まで進むと、Uさんは扉が開いていたゴンドラに乗り込み、妻を誘った。妻は「錆びているし危ないわよ」と拒んだ。Uさんも仕方なく降りようとしたら、ゴンドラがガクンと大きく揺れた。揺れの衝撃で閉まって、立て付けの悪くなっている扉を、ガタガタ開けようとしている間に、今度はいきなり上昇し始めた。妻は慌てて操作室に飛び込み、あちこちいじっていた。しかしすぐに「何も反応しない!電気が来てない!」と叫んだ。
Uさんのゴンドラは最高地点で止まった。
扉をこじ開けて確かめると、思ったよりかなりの高さだった。手や足が届く位置に柱もない。さらにゴンドラの壁面を、落ちそうになりながら探っても、屋根に登る手がかりになりそうなものが無かった。Uさんはゴンドラを揺らしたりジャンプしたり押してみて、動かないか試した。ギシギシ軋み続けて、ただ揺れるだけだった。妻も下で必死に引っ張ろうとしていた。さっきは勝手に回ったのに、何をどうしてもびくともしないのだった。
この時代まだ携帯電話は普及していなかった。妻が歩いて行ける範囲に家などがあるかどうかも判らないし、ほとんど外国語が話せないのに、ひとりで危険な目に遭わせたくなかった。
すでに日が暮れていた。
風が吹き始めどんどん気温が下がり、立っているだけでなすすべのない妻を、車内に戻らせた。近づいてくる車があったら、助けを求めてくれと頼んだ。よりによって周辺に何もない田舎道で、今日は12月の31日だ。普段通る車も今夜は来ないだろう。判っていたもののの、他に方法を思いつかない。
鉄製のゴンドラの中は、隙間風が吹き抜け冷たく、やがてUさんの体は、激しい震えが止まらなくなった。極限の寒さに襲われ、すでに頭も働かなくなり、ただ寒くて疲れてしんどいのだった。いつの間にか眠ってしまった。

夏の夢を見た。
明るい日差しの元で、楽しそうに駆け回る子供達がいた。見守る親が居た。自分はベンチで仲良く寄り添うカップルの片方になっていた。この遊園地が開業していた頃だろうか。いつまでも眺めていたい暖かい光景だった。
アイスクリームスタンドの先に、ジェットコースターが見える。すごい勢いで下って来て、そのままのスピードでこちらに向かってカーブを曲がりかけ、飛んで来た。文字通り飛んでくるように見えた。コースターが迫ってくるのをスローモーションのように目撃して、次の瞬間首が折れ、胸が潰され、痛みに貫かれながら下敷きになり、息が詰まって目の前が真っ暗になった。たくさんの悲鳴と轟音だけが聞こえていた。
目が覚めた。
あまりにリアルな夢だった。もう絶対眠りたくなかった。しかし震えで倒れそうなほど寒く、さらに疲れてしんどかった。耐え難かった。
観覧車が回っていた。
Uさんはこれで降りられると喜んだ。しかし気付くと昼間だし、他の乗り物も動いていて何かおかしい。今は高い位置で危ないのに、何故か扉を開けて下を覗き込んだ。そしてためらわず飛び降りた。地面にぶつかると手足が弾けるように折れ曲がり、顔が割れた。衝撃の後もしばらく痙攣していた。
ものすごい音で目が覚めた。
Uさんは自分の全身が砕ける音かと勘違いした。だが妻の呼ぶ声が聞こえた。はっと我に返ると、妻が連れてきた数人の男が、観覧車にケーブルを掛けて、トラックで引っ張ろうとしているところだった。鉄板が歪んで壊れそうだったが、次第に動き出し、ゆっくりと地上に着いた。Uさんはもう立ち上がる事も出来ないほど凍えており、男達に支えられて車まで戻った。毛布に包まれ暖房にあたり、やっと落ち着いて顔を上げると、はるか遠くの空に、次々と小さく花火が上がっていた。「ハッピーニューイヤー」と声を掛けられ、あれは街のカウントダウンパーティの花火だと説明された。
男達は「生き延びて新年を迎えられたな」と笑って去って行った。
2023-12-31

R子さんが10代の頃、ある男とドライブに行った。
眺望が開けて海まで見渡せるとっておきの場所に、連れて行ってくれると聞いていた。
しかし山道に入ってすぐのあたりで、おそらく曲がるところを間違えたらしい。この当時はカーナビも携帯も無かった。「あれ?」とか「ここじゃねぇな」とか呟いているので、R子さんが道路地図を調べて、こっちではないかと告げても無視する。「俺はここらの山は走り慣れてる」「黙って任せとけ」とそのまま進むのだった。
1時間が過ぎ1時間半経ち、さすがに男もおかしいと思っていたらしい。「脇道がないかよく見ていてくれ」と言い出した。ずっと舗装されていない道路を、土埃を巻き上げながら走っていたので、窓が汚れていた。R子さんは窓を降ろし、顔を出して注意深く見ていた。
片側が谷で片側が急斜面の森になっている細い道が、ずっと続いていた。しばらくして森の斜面の下に小さな作業小屋のような建物があるのを見つけた。小屋の前で椅子に座っている老婆がいる。老婆はこちらを向いて何か口を動かしていた。R子さんは「あのお婆さんに聞いてみよう」と言ったのに、男は車を止めなかった。「ここじゃ道が分かってもUターンできない」「分岐か広場に出るまで行くしきゃないだろ」とさらに進んでいった。
数分後、また森の斜面の下に作業小屋が見え、老婆が座っていた。こちらを見ながら何か言っている。通り過ぎる時にそれがわらべ歌のようなものだと分かった。「3回まわれば⋯」後の部分は聞こえなかった。
R子さんはゾッとした。「さっきのお婆さんだわ」「まっすぐな道のはずなのに戻ってるじゃない」男はR子さんの声が聞こえないかのように、無表情で運転していた。だが数分後、また斜面の下に作業小屋が見え、老婆が唄っていた。
「4回まわれば地獄行き」そう聞こえた。
R子さんは気付いた。「今3回目だ」「4回まわったら⋯」耐えられなくなって男に車を止めるよう訴えた。男は車を止めた。額に汗が浮かんでいた。
長い間黙って何か考えているようだったが、そろそろと車をバックさせ始めた。「戻るしかない」「道幅は狭いけどほぼ真っ直ぐだし、ずっと他の車は来なかった」「バックして抜け出せるかやってみる」泣き出してしまっていたR子さんに、「大丈夫だ」と言った男も青ざめていた。
数分後、小屋の前に差し掛かると、老婆は膝を叩いてニヤリと笑った。
さらに数分後、小屋の前で老婆は手を叩いて喜んでいるようだった。
そして数分後、小屋の前で座っていた老婆は、立ち上がって小屋の中に消えた。
その後すぐに広い道路に出て、二人で地図を見て場所を確認した。R子さんはもうどこにも行く気になれず、そのまま家に送ってもらった。
この時の男とは2度とデートしなかったそうだ。
2023-12-31

Sさんがある海沿いの道を運転していた日のこと。
急カーブが続く区間で、Sさんのバンを追い越していく家族連れのセダンがあった。その先はヘアピンなので「おいおいそんなに飛ばすなよ」と思った瞬間だった。カーブの先で、ドカン・ガシャンという大音響と共に悲鳴が聞こえた。
スピードを落としてゆっくり角を曲がると、見えてきた光景に、Sさんは唖然としてしまった。
道が突然途切れ、道沿いの丘と同じくらいの高さのコンクリート壁が、行く手を塞ぐように立ち上がっていたのだ。
セダンは壁に衝突していた。車から出て怪我人を確かめようか、それともまず先に救急車かと、携帯を探している時、背後でまたドカン・ガシャンという大音響と共に悲鳴が聞こえた。後続車がSさんのバンに衝突し、Sさんは弾き飛ばされていた。
救急車で病院に運ばれた後、事情聴取に来た警官に、壁のことを話すと「あぁ壁ね」とため息をついた。
セダンの家族も壁に衝突したと言っていた。しかし壁なんて無かった。あるはずもない。現にセダンには、多重衝突で後ろからSさんの車にぶつけられた跡はあったが、フロントは綺麗で、家族全員大した怪我もなかった。
そんなはずはないとSさんは主張したが、事故で頭を打った人と思われたのか、あまり話を聞いてもらえなかった。いずれにしても最初にあんな所に停車したセダンが悪いのだから、心配するなと言う。
Sさんもあの道路は何度か走っているので、壁なんかあるはずないと思いつつも、釈然としない出来事だった。
2023-12-31