59.山に行ってはいけない日

 Lさんの家の裏山には、入ってはいけない日が定められていた。神が降りて来る日で、その姿を見たら気が狂うと、伝えられていた。行ってはいけないのはたった1日だし、わざわざその日に山に行く人もいなかった。

 ある年の山封じの翌日、隣村に住む女が、夫の様子がおかしくなったと、Lさんの家に駆け込んで来た。昨日山から帰って以来、ずっと水も飲めなくなり、なんとかして欲しいと言う。どうやらこの時期に生えている高く売れる薬草を狙って、こっそり裏山に入ったようだ。しかし裏山を祀る地主だからと、Lさんの家に来られても、Lさん達にもどうしたら良いか分からない。祖父母や年寄り連中も、助ける方法は知らなかった。ただ禁忌を破った者は土地を去れと、聞かされていただけだった。

 女の夫は前日、山の中を歩いていて、地響きを感じた。山崩れかもしれないので、急いで高くなっている方に避けた。すぐに上の方からビチャビチャずるずると音がして、赤い水が流れて来た。だが脇を下って行くのを見ると、それは水ではなく、とても長いミミズのような生き物の大群だった。 群れはあっという間に下へ落ちて、視界から消えた。

 家に戻った男は、水を飲もうとして口を付けたコップを、驚いて取り落とした。糸ミミズが入っていた。何故コップにと思ったが、蛇口から水を汲み直そうとすると、糸ミミズが湧いて出た。

 夕飯の汁物にもミミズが蠢いており、家中にある水という水全部、風呂の中さえミミズでいっぱいだった。水分のあるものは、すべて受け付けなくなってしまった。

 結局男は衰弱して町の病院に運ばれた。点滴や栄養剤で回復したものの、家に戻って来ると、また同じ症状が出る。これを繰り返した後、山から離れれば正気に戻ると気付いて、村を去って行ったのだった。

2023-03-13

58.海に行ってはいけない日

 Kさんの住む小さな港町では、17年に1度だけ特定の日に、夜になったら屋内に入って、朝まで決して外に出てはいけないと教えられて来た。海を見てもいけないので、海が見える範囲の家々では、厳重に戸締りして明け方まで籠っていた。

 この手の言い伝えは各地にあると思うが、この集落のものは少し変わっていて、海で死んだ者達が、生者を喰いに来るのだという。もしも海で事故があったら、遺体は必ず引き上げて供養してやらないと、海の底でそれに喰われて皆それになってしまう。

 Kさんは若い頃この話を全く信じていなかった。実際に外に出て行方知れずになった者がいると聞いても、化け物に喰われたとは思えない。古い因習を守ろうとする大人達を、馬鹿にしていた。

 51年前のその夜、Kさんは悪友達と3人で親の車に乗り、港のコンクリートの斜面に停車して、海の方を見ながら待っていた。それぞれ友人の家に泊まると言って出てきたが、親や祖父母達には「今日がなんの日か分かっとるな」と念を押されていた。誰も言い伝えを真に受けてはいないし、もしも何かがやってくるなら、正体を見てやろうじゃないかと笑い合った。

 数時間は喋ったり、飲んだり食べたり、ラジオを聴いたりして過ごしたものの、だんだん眠くなるし、退屈な徹夜になりそうだった。

 いつの間にか寝てしまったKさんが、肩を激しく揺さぶられて目を覚ますと、助手席の友達がフロントガラスを指差して慌てていた。後部座席の友人も「なんだこれは!」と叫んでいる。最初何を騒いでいるのか分からなかったが、目を凝らしてよく見ると、目の前で闇が蠢いていた。室内ライトを点灯すると、それは黒い小さな甲殻類のような生き物の群れだった。すぐにフロントガラスだけでなく、サイドも後部もその生き物で埋め尽くされ覆われて行った。

 Kさんは車を出そうとしたものの、タイヤが空回りして前にも後ろにも動かない。逃げようとすればするほど、じわじわとスロープを滑り落ちて、サイドブレーキをかけても止まらない。その先は海だった。

 カサカサ・カリカリ・ザワザワと音だけが聞こえ、全面が真っ黒になった。上にどれだけの数がいるのか、車が揺れて軋んでいた。俺達は車ごと海に引きずり込まれるんじゃないかと、怖くなった。

 何も出来ずにただ時間が経つ中、助手席の友達は喚き散らすし、後部座席の友人は泣き始めた。そしてついに足元に水が入って来た。たまらず助手席の友達が 「外に出て助けを呼んで来る!」と叫んだ。「やめろっ!」「ドアを開けるな!!」と止めようとしたが、振り切って出ようとした。

 ドアが開いたのは一瞬でほんの数センチだったのに、あの生き物が雪崩を打って車内に入り込んできた。三人がかりで、必死でドアを引っ張って閉めたが、それから車内はもう阿鼻叫喚の絵図になった。 

 噛み付くのか挟むのか、ただ触っただけでも駄目なのか、火傷するような鋭い痛みに悲鳴を上げながら、生き物を振り払い叩き、踏みつけて殺していった。最後の一匹を殺してもまだ、3人とも苦痛にのたうち回っていた。疲れ果てているのに、激しい痛みにじっとしていられなかった。いつの間にか、水も腰の辺りまで来ていて、さらにじわじわ水位が上がり、俺達はもう死ぬと思った。

 助かったのは車が水没する前に、朝日が昇ったからだ。

 陽の光が射した辺りから、波が引くように生き物が退いて、やがて嘘のように綺麗に居なくなった。

 3人はよれよれになって近くの家に助けを求め、病院に運ばれた。車は潮に持って行かれ、引き上げもできなかったし、親父にこっ酷く叱られた。

 34年前と17年前のこの日は、皆がKさん達の事件を覚えていて、厳重に警戒して誰も外に出なかった。しかしさらに17年が過ぎ、生々しい傷跡を見た人も減り、他所から来た住民もいる町で、外に出てしまう奴がいないか、Kさんは真剣に心配している。

2023-03-12

57.排水管

 当時彼女は貧乏暮らしで、知り合いの不動産屋に、どんな所でも良いから安い部屋を探してほしいと頼んであった。

 連絡が来た時、相場の半額にする条件として、必ず3ヶ月以上は住む・最長で1年間は住み続けて良いが、2年目以降は通常の料金になると言われた。

 この当時はまだ事故物件という言葉も知られておらず、告知義務もなかった。ただ友人だったので「幽霊が出るとかで、すぐ住人が出てっちゃう部屋なんだけど」と教えてくれた。

  彼女は横になるとすぐに寝られる体質で、子供の頃から幽霊や霊感とは全く無縁だと自負していた為、平気だった。見た感じは綺麗なロフト付きワンルームマンションに、1年格安で住めるのがありがたかった。

 引っ越してすぐに、何か金属音が聞こえたりするとは思っていた。

 ある晩お風呂に入っていて、その音が自分しか居ないバスルームの中で鳴っていると気付いた。探しても音の出るものは見当たらない。時々鳴る音を注意深く探って、排水管から響いているのではないかとあたりを付けた。

 誰かがどこかで配管を叩いているらしい。

 真夜中にドスンという大きな音がすることもあった。こちらは部屋の中でしていた。眠りが浅いと目が覚めたが、他に異常はないのでまたすぐに眠った。

 半年ほど経って、友人達との飲み会で遅くなった夜、シャワーを浴びていると、バスルームの外から、あのドスンという大きな音が聞こえた。びっくりしたが、いつも一瞬音がするだけで終わるので、そのまま身支度を整えてから出ようとした。

 ドアが開かない。

 ドアノブは回るのだが、押してもほんの少ししか動かない。何が起こったのか分からなかった。

 閉じ込められたまま時間が過ぎ、叫んでも誰も来ないし、外に知らせる手段も無く、このまま一人で死ぬのではないかと恐れていると、配管を叩く音が聞こえ始めた。その音はいつもより激しく執拗に続いた。どこか別の部屋から伝わるのではなくて、明らかに彼女のいるバスルームの中で叩いていたのだ。

 しばらくすると玄関のチャイムが鳴った。声も聞こえた。

 それはさっき別れた友人達の声で、必死に助けを求めた。

 1時間ほどで、不動産屋が鍵を持って駆け付けて、彼女は救出された。しかしバスルームのドアは壊れてもいないし、何かが挟まってもいなかった。外から簡単に開けられて、出られなかったのを不思議がっていた。

 友人達は2次会で飲み過ぎて帰るのが面倒なので、一番近い彼女の部屋に泊めてもらおうと、やって来たのだった。来てくれていなかったらと考えるとゾッとした。

 後日不動産屋から詳しい話を聞き出した。

 前の住人はロフト部分から黒い影がぶら下がっているのを見たと言って出て行った事・その前の住人はバスルームで死んでいて、おそらくひと月も経ってから発見された事。この女性は自然死だった。さらにその前に、ロフトの梁にロープを掛けて自殺した男性がいた事。

 男性の死後部屋の床を張り替えたのだが、彼の遺体は縄が切れたのか、ちょうどバスルームのドアの前に、廊下を塞ぐように倒れていたらしい。床に大きな跡が残っていて、どうしても取れなかったのだという。

 そしてその後もこの部屋では、影を見たり音を聞いたり、バスルームのドアが開かなくなる事件が発生した。

 大家は部屋を封鎖して、貸し出さなくなったそうだ。

2023-03-05

56.内覧

 Hさん夫妻が見学に行った部屋は、大きなマンションの売れ残り物件だった。完成後1年以上経過しても、まだその3LDKだけ買い手が付かず、値引きするとの話だった。

 案内の業者さんと、入り口近くから一部屋ずつ見て行った。

 夫は業者さんと話が弾み、いつまで経っても最初の部屋から出てこないので、Hさん一人で2番目の部屋のドアを開けた。中にはデスクや棚が置かれていて、スーツ姿の男性が座っていた。この部屋は事務所として使っているのだと思い、慌ててドアを閉めた。だが追いついた夫達が開けると、中は空だった。

 目の錯覚だったのかもしれないが、質問してみた。

「この部屋以前は事務所でしたか?」「ええ完成後半年は事務所にしてましたけど⋯その頃にもいらっしゃいましたか?」はいと答えておいたので、夫は変な顔をしたものの、何も言わなかった。Hさんは霊感が強く、時々何かを見るのを知っていたからだ。

 3番目の部屋でも話し込んで動かない夫達を残し、広いリビングに入ると、大きな掃き出し窓の向こうのベランダに、さっきの男性が立っているのが見えた。

 彼はHさんと目が合うと、にっと笑って手摺りの上に登った。

 夫達が来たので男性の姿は消えたが、Hさん夫妻はもちろんこの部屋を買わなかった。

 業者さんに「ここは事故物件ではありませんか?」と尋ねても、「いいえここは未入居の部屋で誰も住んでいませんから」と答えるばかりだった。

 事故物件というのは、通常住人の不審死や事件事故などがあったものだ。

 この部屋に通勤していた業者の男性が、ここで自殺していたとしても、事故物件とは言わないのだろうか。

2023-03-04

55.廃村

 Jさんが幼かった頃、奇妙な車列を見たことがある。

 10台くらいの軽トラが連なって、真っ黒で巨大な木桶を運んでいた。蓋をして縛った桶を重ね、それぞれの荷台に積めるだけ積んで、目の前を通り過ぎて行った。運転席には運転手以外に2・3人ずつの大人や子供が座っていた。

 一緒に居た両親に「あれは何?」と聞いたら、どちらも押し黙って怖い顔をしていた。

 ずっと後になって、家族でその時のことが話題に上り、大人達から事情が聞けた。

 Jさんの出身は当時住んでいた町ではなくて、ずっと山奥の村だったのだそうだ。

 昔 雪の降る晩、Jさん一家の住居に、一人の若い女が訪ねて来た。近隣の村では見た覚えのない顔だった。

 応対に出た母に「飯を食わせてもらいたい」と言った。母はどうしたものかと考えた。雪の中で道に迷ったのかもしれないと思ったからだ。 しかし後ろから見ていた祖母が「家に入れてはならん!」と叫んだ。祖母はとても感が鋭く、人を見抜く目も確かだった。母は、台所にあったあり合わせの食べ物を包んで来て、戸口で渡し中には入れなかった。女は無言で去った。

 小一時間が過ぎて、深々と降る雪の中に、悲鳴が聞こえたような気がした。しばらくしてまた悲鳴が聞こえ、遠くかすかに悲鳴が続いた。家族は集まって相談した。この当時村に電話は無く、下の集落までは雪が無くても男の足で30分はかかった。街灯も無い真っ暗な中、何が起こっているか分からないのに、外に出るのは得策ではなかった。

 家族で集まってやり過ごし、夜が明けるとすぐに父と祖父が、様子を見に出て行った。

 まず隣の家に向かうと、まだ薄明かりの中、家の者が全員庭に出ていた。それぞれがバラバラに、あっちこっちを向いて、ただ立っていた。変わりはないかと尋ねると、何もないと言った。女も見ていないと言う。その口振りがどこかおかしかったものの、別の家に向かった。

 十数軒あった村の家を全部廻り、全部の家が同じだった。

 皆が「何もない」「何もなかった」「何も起こっていない」と答えたが、不気味だった。

 この日から村人達は、ほとんど話さなくなり、無表情になったのだ。

 Jさんの一家は村を出た。

 村を出ると告げた時も反応が無く、見送りもなかった。二度と戻らなくて済むように、運べるものは全部車に積んで、親類を頼りに町に出て来たのだという。

 あの日見た車列の軽トラに乗っていたのは、全員村人達だったのだ。

 どの家も、その後誰かが来た様子もなく朽ち果て、廃村になった。

2023-03-01