
山の麓の村で子供達が聞かされるのは、山で草がなぎ倒されているのを見つけたら、何をしている途中でも一目散に逃げ帰れという言いつけだった。草原に1メートルくらいの幅で押しつぶされた痕が、蛇行しながらどこまでも続いているのを見た人は、何人もいるのだった。
2018-11-16

山の麓の村で子供達が聞かされるのは、山で草がなぎ倒されているのを見つけたら、何をしている途中でも一目散に逃げ帰れという言いつけだった。草原に1メートルくらいの幅で押しつぶされた痕が、蛇行しながらどこまでも続いているのを見た人は、何人もいるのだった。
2018-11-16

Gさんにはもう40年も心に引っかかっている記憶がある。彼がまだ故郷の山間の村に暮らしていた頃の話だ。
その日昼食を食べ終わって車に向かうと、頭上を大きな黒い影が横切った。見上げるとそれは、翼を広げた長さが5メートルもある鳥だった。車庫の大きさと同じくらいだったので間違いない。しかもその鳥は人間の幼児を掴んでいたのだ。
追いかけたが見失い、慌てて家に戻り家族に訴えたが相手にされず、夢でも見たんだろうとからかわれた。警察へ電話しようとしたのも止められた。
誰にも信じてもらえなかったので、Gさんはそれ以来この件について喋らなかった。しかし行方不明事件がなかったかずっと気にかけていて、子供が見つからないと聞くと巨大な鳥を思い出してしまう。
今でもふと、あの時どうすれば良かったのかと考える。
2019-03-26

Mさんの町はある山地の登山口になっている。
もう10年以上も前に別れた夫が気になり始めたきっかけは、職場での雑談だった。息子の山好きは父親譲りと話していたら、何故離婚したのか聞かれた。
夫はある日を境にほとんど喋らなくなり、会社からは無断欠勤していると電話があった。Mさんは浮気を疑い問い詰めたが、何を聞いても反応がなく、夫婦仲は悪化した。一方で頻繁に山に出かけ、息子も一緒にと執拗に誘っていた。前は喜んでついて行った息子が頑なに拒むので、理由を聞いたら「あれはパパじゃない」と言ったのだ。夫婦の問題が、息子にまで悪影響を与えていると思った。
Mさんの話を聞いていた同僚が、昔親戚の娘さんが破談になった理由が、よく似ていると言い出した。婚約者が、人が変わったように寡黙になり、会社にも行かなくなったのだった。「山から帰ったら別人になっていた」と訴える娘さんを心配した両親が、急遽結婚式を取り止めた。しかし親族の騒ぎをよそに、彼は楽しそうに山歩きに熱中していたらしい。

男の態度が急に冷たくなるのは珍しくないかもしれない。ただ引っかかったのは、夫が変わったのも、同じ山に行った後なのだ。時期も同じ頃のようだった。そして去年その山に行った息子が、元夫を目撃していた。そこは途中に岩場や藪がありトレイルランをするようなルートではないが、息子たちのグループを走って追い越して行った男が、間違いなく父親だったという。

50を過ぎている彼は笑みを浮かべ、若者たちが驚嘆するようなスピードで、急坂を駆け上がって見えなくなった。
2018-05-26 00:00