34.河童

 Wさんが若い頃大雨で浸水被害の出た年があった。その日村の男達は全員駆り出され、Wさんも先輩と組んで警戒に当たっていた。
 厚い雨雲のせいで昼なのに暗い道を、二人で川沿いの神社を目指して歩いていると、鳥居の前に緑のレインウェアの人が5人立っているのが見えた。皆小柄で痩せていた。隣村の連中が来ているのかと思ったが、50メートルほどの距離に近づいた時、不意に先輩が立ち止まり「ありゃ人間ではねぇな」と言ったのだ。
 視界も霞むほどの雨の中よく見ると、レインウェアを着ていると思ったのは、彼らが緑色だったからだ。頭の先からつま先まで全部が暗い緑だった。すぐに向こうもこちらに気付き、一人が「キェーーッ」と叫ぶと、次々に濁流の川に飛び込んで消えた。
 村には古くから河童の目撃談があり、鳥居の脇には河童を祀った祠もあった。この日の豪雨でその祠も流され、その後河童を見た人はいない。

2019-07-12

33.影取り

 Jさんがまだ中学生だった頃、夏休みは毎日部活の練習に通っていた。いつも通る道の曲がり角には、かなり大きな木がせり出していた。
 ある日その角を曲がった途端、飛び出してきた男とぶつかりそうになった。びっくりして立ちすくむと、男は全速力で走って行ってしまい、木陰にいた二人の子供に笑われた。気を取り直して歩き出したら、後ろから声をかけられた。「影取りだよ」「あなたの番だよ」何を言ってるのだろうと思った。

 ところが Jさんは、練習中のグラウンドで気が付いた。自分だけ影が無いのだ。オロオロしていると、チームメイトが集まって来て、先輩達も相談に乗ってくれた。とりあえずあの木まで行ってみることになった。しかし周囲を探しても、もうあの子達は居ないし、どうすればいいか分からない。夕方になり、その日は解散するしかなかった。家に帰っても母親に言いそびれたまま、翌日になれば影が戻っているのではないかと、期待していた。

 翌朝やっぱり影は無く、家を出て木の所に向かった。木陰から時々通る人を見ていて、昨日の男を思い出した。するといつのまに来たのか、子供達の声が背後から「あなたの番だよ」「取るんだよ」と言う。「どういう意味?」と聞こうとして、振り返って固まった。昨日はよく見ていなかった二人の、顔だけが老人だったのだ。
 思わず後ずさりした時、ちょうど通りかかった人がいた。「今だよ」「影取りだよ」 Jさんはハッとして、木陰から飛び出して走って逃げた。影は戻っていた。

 あの時の大樹はしばらく後に、区画整理で切り倒された。Jさんは大人になるにつれ、あれは本当の出来事だったんだろうかと疑うようになり、やがて忘れかけていた。だが去年の夏、電車の窓から偶然その光景を見て、思い出した。
 線路沿いの通りを行き交う人達の中に、ひとりだけ影の無い人が、歩いていたのだった。

2019-08-16 16:00

30.人魚

 その海辺の村には古くからの掟があり、春の大潮の夜に海に行ってはならない。人家から離れた小さな入り江に、人魚達がやって来る。人魚は美しく、どんな男も一目で魅入られてしまう。しかし彼女達は繁殖の相手を、行為が終わると喰うのだ。夜明けの静かな海面が、被害者の鮮血で赤く染まると言う。

2018-11-16

2.花見の夜に

 知人が大学生の頃引越しをした。ちょうど桜の季節で、丘の上の彼の部屋の窓からは、下の道路の桜並木が眺められた。友人達を花見に呼んで夜中まで話し込んでいると、窓辺を何かが通った気がした。しばらくすると友達の一人も「今誰か通ったか?」と言う。すぐに外を確認したが窓の下は3メートルほどの崖だし、左右には塀がある。気のせいだろうと話したのに今度は全員が目撃した。子供がすごい速さで通り過ぎた。そんな速さで駆け抜けられるような場所ではないと判っていたし、怖くなって窓を閉め部屋を出た。

 次の日大学でこの話になると「酔っ払ってたんだろう」と笑われ、確かめてやると言う友人がやって来た。夜中まで暇を潰し窓を開けて待った。午前0時を過ぎてからその出来事は始まった。だいたい2・3分おきくらいに誰かが一瞬で通り過ぎる。背が低いので子供だと思っていたが違うようだ。最初は唖然としていた友人が面白がり始め、何度目かに「おい! 」と声をかけた。それはピタッと止まりこちらを向いた。子供どころか人間ですらなかった。

 目の部分が黒い空洞に見えるそれは、こちらを向いたまま動かなかった。驚いて立ち上がろうとすると、獣のような唸り声を出すので動けない。やがて次のそれがやって来て横に並んだ。二人ともガタガタ震えながら何とか少しづつ下がったが、激しく唸られ今にも襲われそうだった。さらにまた次が来て並んだ。ようやく玄関までたどり着くと、靴も履かずに外に出てドアを閉め逃げた。

 家族も友人達も誰もこの話を信じてくれなかった。二度と同じことが起こらなかったからだ。

2018-04-01 00:00