34.河童

 Wさんが若い頃大雨で浸水被害の出た年があった。その日村の男達は全員駆り出され、Wさんも先輩と組んで警戒に当たっていた。
 厚い雨雲のせいで昼なのに暗い道を、二人で川沿いの神社を目指して歩いていると、鳥居の前に緑のレインウェアの人が5人立っているのが見えた。皆小柄で痩せていた。隣村の連中が来ているのかと思ったが、50メートルほどの距離に近づいた時、不意に先輩が立ち止まり「ありゃ人間ではねぇな」と言ったのだ。
 視界も霞むほどの雨の中よく見ると、レインウェアを着ていると思ったのは、彼らが緑色だったからだ。頭の先からつま先まで全部が暗い緑だった。すぐに向こうもこちらに気付き、一人が「キェーーッ」と叫ぶと、次々に濁流の川に飛び込んで消えた。
 村には古くから河童の目撃談があり、鳥居の脇には河童を祀った祠もあった。この日の豪雨でその祠も流され、その後河童を見た人はいない。

2019-07-12

10.同じ山

 Mさんの町はある山地の登山口になっている。
 もう10年以上も前に別れた夫が気になり始めたきっかけは、職場での雑談だった。息子の山好きは父親譲りと話していたら、何故離婚したのか聞かれた。

 夫はある日を境にほとんど喋らなくなり、会社からは無断欠勤していると電話があった。Mさんは浮気を疑い問い詰めたが、何を聞いても反応がなく、夫婦仲は悪化した。一方で頻繁に山に出かけ、息子も一緒にと執拗に誘っていた。前は喜んでついて行った息子が頑なに拒むので、理由を聞いたら「あれはパパじゃない」と言ったのだ。夫婦の問題が、息子にまで悪影響を与えていると思った。

 Mさんの話を聞いていた同僚が、昔親戚の娘さんが破談になった理由が、よく似ていると言い出した。婚約者が、人が変わったように寡黙になり、会社にも行かなくなったのだった。「山から帰ったら別人になっていた」と訴える娘さんを心配した両親が、急遽結婚式を取り止めた。しかし親族の騒ぎをよそに、彼は楽しそうに山歩きに熱中していたらしい。

 男の態度が急に冷たくなるのは珍しくないかもしれない。ただ引っかかったのは、夫が変わったのも、同じ山に行った後なのだ。時期も同じ頃のようだった。そして去年その山に行った息子が、元夫を目撃していた。そこは途中に岩場や藪がありトレイルランをするようなルートではないが、息子たちのグループを走って追い越して行った男が、間違いなく父親だったという。

 50を過ぎている彼は笑みを浮かべ、若者たちが驚嘆するようなスピードで、急坂を駆け上がって見えなくなった。

2018-05-26 00:00

2.花見の夜に

 知人が大学生の頃引越しをした。ちょうど桜の季節で、丘の上の彼の部屋の窓からは、下の道路の桜並木が眺められた。友人達を花見に呼んで夜中まで話し込んでいると、窓辺を何かが通った気がした。しばらくすると友達の一人も「今誰か通ったか?」と言う。すぐに外を確認したが窓の下は3メートルほどの崖だし、左右には塀がある。気のせいだろうと話したのに今度は全員が目撃した。子供がすごい速さで通り過ぎた。そんな速さで駆け抜けられるような場所ではないと判っていたし、怖くなって窓を閉め部屋を出た。

 次の日大学でこの話になると「酔っ払ってたんだろう」と笑われ、確かめてやると言う友人がやって来た。夜中まで暇を潰し窓を開けて待った。午前0時を過ぎてからその出来事は始まった。だいたい2・3分おきくらいに誰かが一瞬で通り過ぎる。背が低いので子供だと思っていたが違うようだ。最初は唖然としていた友人が面白がり始め、何度目かに「おい! 」と声をかけた。それはピタッと止まりこちらを向いた。子供どころか人間ですらなかった。

 目の部分が黒い空洞に見えるそれは、こちらを向いたまま動かなかった。驚いて立ち上がろうとすると、獣のような唸り声を出すので動けない。やがて次のそれがやって来て横に並んだ。二人ともガタガタ震えながら何とか少しづつ下がったが、激しく唸られ今にも襲われそうだった。さらにまた次が来て並んだ。ようやく玄関までたどり着くと、靴も履かずに外に出てドアを閉め逃げた。

 家族も友人達も誰もこの話を信じてくれなかった。二度と同じことが起こらなかったからだ。

2018-04-01 00:00