57.排水管

 当時彼女は貧乏暮らしで、知り合いの不動産屋に、どんな所でも良いから安い部屋を探してほしいと頼んであった。

 連絡が来た時、相場の半額にする条件として、必ず3ヶ月以上は住む・最長で1年間は住み続けて良いが、2年目以降は通常の料金になると言われた。

 この当時はまだ事故物件という言葉も知られておらず、告知義務もなかった。ただ友人だったので「幽霊が出るとかで、すぐ住人が出てっちゃう部屋なんだけど」と教えてくれた。

  彼女は横になるとすぐに寝られる体質で、子供の頃から幽霊や霊感とは全く無縁だと自負していた為、平気だった。見た感じは綺麗なロフト付きワンルームマンションに、1年格安で住めるのがありがたかった。

 引っ越してすぐに、何か金属音が聞こえたりするとは思っていた。

 ある晩お風呂に入っていて、その音が自分しか居ないバスルームの中で鳴っていると気付いた。探しても音の出るものは見当たらない。時々鳴る音を注意深く探って、排水管から響いているのではないかとあたりを付けた。

 誰かがどこかで配管を叩いているらしい。

 真夜中にドスンという大きな音がすることもあった。こちらは部屋の中でしていた。眠りが浅いと目が覚めたが、他に異常はないのでまたすぐに眠った。

 半年ほど経って、友人達との飲み会で遅くなった夜、シャワーを浴びていると、バスルームの外から、あのドスンという大きな音が聞こえた。びっくりしたが、いつも一瞬音がするだけで終わるので、そのまま身支度を整えてから出ようとした。

 ドアが開かない。

 ドアノブは回るのだが、押してもほんの少ししか動かない。何が起こったのか分からなかった。

 閉じ込められたまま時間が過ぎ、叫んでも誰も来ないし、外に知らせる手段も無く、このまま一人で死ぬのではないかと恐れていると、配管を叩く音が聞こえ始めた。その音はいつもより激しく執拗に続いた。どこか別の部屋から伝わるのではなくて、明らかに彼女のいるバスルームの中で叩いていたのだ。

 しばらくすると玄関のチャイムが鳴った。声も聞こえた。

 それはさっき別れた友人達の声で、必死に助けを求めた。

 1時間ほどで、不動産屋が鍵を持って駆け付けて、彼女は救出された。しかしバスルームのドアは壊れてもいないし、何かが挟まってもいなかった。外から簡単に開けられて、出られなかったのを不思議がっていた。

 友人達は2次会で飲み過ぎて帰るのが面倒なので、一番近い彼女の部屋に泊めてもらおうと、やって来たのだった。来てくれていなかったらと考えるとゾッとした。

 後日不動産屋から詳しい話を聞き出した。

 前の住人はロフト部分から黒い影がぶら下がっているのを見たと言って出て行った事・その前の住人はバスルームで死んでいて、おそらくひと月も経ってから発見された事。この女性は自然死だった。さらにその前に、ロフトの梁にロープを掛けて自殺した男性がいた事。

 男性の死後部屋の床を張り替えたのだが、彼の遺体は縄が切れたのか、ちょうどバスルームのドアの前に、廊下を塞ぐように倒れていたらしい。床に大きな跡が残っていて、どうしても取れなかったのだという。

 そしてその後もこの部屋では、影を見たり音を聞いたり、バスルームのドアが開かなくなる事件が発生した。

 大家は部屋を封鎖して、貸し出さなくなったそうだ。

2023-03-05

56.内覧

 Hさん夫妻が見学に行った部屋は、大きなマンションの売れ残り物件だった。完成後1年以上経過しても、まだその3LDKだけ買い手が付かず、値引きするとの話だった。

 案内の業者さんと、入り口近くから一部屋ずつ見て行った。

 夫は業者さんと話が弾み、いつまで経っても最初の部屋から出てこないので、Hさん一人で2番目の部屋のドアを開けた。中にはデスクや棚が置かれていて、スーツ姿の男性が座っていた。この部屋は事務所として使っているのだと思い、慌ててドアを閉めた。だが追いついた夫達が開けると、中は空だった。

 目の錯覚だったのかもしれないが、質問してみた。

「この部屋以前は事務所でしたか?」「ええ完成後半年は事務所にしてましたけど⋯その頃にもいらっしゃいましたか?」はいと答えておいたので、夫は変な顔をしたものの、何も言わなかった。Hさんは霊感が強く、時々何かを見るのを知っていたからだ。

 3番目の部屋でも話し込んで動かない夫達を残し、広いリビングに入ると、大きな掃き出し窓の向こうのベランダに、さっきの男性が立っているのが見えた。

 彼はHさんと目が合うと、にっと笑って手摺りの上に登った。

 夫達が来たので男性の姿は消えたが、Hさん夫妻はもちろんこの部屋を買わなかった。

 業者さんに「ここは事故物件ではありませんか?」と尋ねても、「いいえここは未入居の部屋で誰も住んでいませんから」と答えるばかりだった。

 事故物件というのは、通常住人の不審死や事件事故などがあったものだ。

 この部屋に通勤していた業者の男性が、ここで自殺していたとしても、事故物件とは言わないのだろうか。

2023-03-04

53.11月24日

 彼ら二人は仕事で、車の運転を交代しながら、山間部を廻っていた。
 いつも営業所に戻る途中で「この山を越えられればすぐなのにな」「1時間は短縮出来ますよね」などと話すポイントがあった。山裾を大回りする以外に、山越えのルートがあっても良さそうなのに、地図を見ると炭鉱跡があるにも関わらず道がない。しかしその日、同僚から昔の鉱石運搬用道路が載っている古い地図をもらい、探してみようという事になった。

 行ったり来たりして「この辺のはず⋯」と思うあたりをよく見ると、森の入り口に切れかかったしめ縄の様なものが渡された二本の大木がある。神社の参道かと思い通り過ぎていたが、車が通れる幅はあるので、行ける所まで行こうとした。
 道は舗装されておらず、すぐに登りになり、しだいにもやが出てきた。危ないので「戻ろうか」と言って、切り返せるスペースを探してそろそろと車を走らせていると、少し広そうな場所に出た。周囲を確かめる為に、二人とも車を降りた。すぐに声がするのに気が付いた。
 声からすると大勢がこちらに向かって来るらしい。

「人が来たのか?」「生きているのか?」「どこから来たんだ」「どうやって来たんだ」「喰えるのか?」「喰っちまおうよ」「喰いたいよ⋯」
 二人は慌てて車に乗り込み、元の道に戻ろうと方向を変えた。ヘッドライトの先に、大勢の黒い人影がうごめいていた。どれもただ真っ黒な煙の塊の様だった。
 そのうちのひときわ大きな者が、二人に向かって告げた。「今日は日が悪い。11月24日に改めて来い」影の群れの中を、少しずつ車を進めると、さらにこう叫んだ。「11月24日だ! 祭りの贄(にえ)にするでな!」
 もやの立ち込める細い道を、必死で運転して山を降り逃げた。

 営業所に戻ってこの話をすると、同僚達にからかわれた。誰も信じてくれなかったし、「また来いと言われて誰が行くか」と笑いながらも、11月24日になると気になって落ち着かなかった。何事も起こらずに過ぎて、その年も終わり近くになり、二人は仕事納めの挨拶まわりに出掛けた。
 帰って来なかった。

 担当していたルートでは車も見つからず、行方不明のまま新年になった。そして正月も過ぎた頃、あの山の麓の橋から転落している車が発見された。外に投げ出されていた二人の遺体は、動物や鳥に食い荒らされて無残な有様だったそうだ。
 同僚の誰かが、ふと気付いて口を開いた。
「11月24日って⋯もしかして旧暦の日付だったんじゃないですか」

2021-12-31

52.送り火

「迎え火」からの続き

 弟は一晩中走り、騒ぎ、父が止めようとしても、幼児とは信じられないくらいの力で振りほどいて逃げた。朝になって、ようやく眠ったので、父がおぶって母と病院に連れて行った。この時点ではまだ、事故の後遺症だと思っており、様々な検査をして夕方近くに帰って来た。母は貰ってきた薬を飲ませ、早めに弟を寝かしつけた。
 しかし日が暮れると、また鈴の音が聞こえ出した。どこかで軋む音がし、何かが割れるような音が響いた。引き出しが開き、食べ物が散乱し、弟は寝ているのに走り回る足音もして、家族は全員一部屋に集まり、夜明けまでやり過ごすしかなかった。
 次の日も暗くなると、同じ現象が起こった。家中がめちゃめちゃになり、どうしたらいいか分からないまま、皆が疲れ果てていた。彼女はいつの間にか眠っていた。

 4日目の昼過ぎ、彼女が目覚めると、父は仕事に行き、祖父母は親戚の家に出かけていて、母も大事な用事があると言う。「弟は寝ているから大丈夫。すぐ帰るから」と、彼女が怯えていたのに急いで出て行った。
 弟は起きていた。
 誰もいない場所に向かって「〇〇」と呼び掛けたり、囁いたり微笑んだりしていた。とても側にはいられないので、玄関先で家族の帰りを待った。
 やがて母が祖父母と知らない男の人を連れて来た。この人は線香の束のようなものに火を付け、煙を仰ぎながら家中を見て回った。家の外も一周歩き、迎え火を焚いた場所で立ち止まって、険しい顔をした。「何を燃やしたんですか」と問われて祖父母と母が首を傾げたので、彼女は弟のしていた事を教えた。男の人は塩のようなものを撒いて、お清めをした。

 その後父が帰ると、会社から借りて来た大型車に全員を乗せ、男の人の屋敷に向かった。そこはレンガ壁で囲まれた丸い塔のある小さな洋館で、広い庭に木々が茂っていた。洒落た屋敷だと思い印象に残った。
 彼女と祖父母は客間に通され、弟と両親は次の間に案内された。
 随分と長い間、低くお経のような声が聞こえているだけだった。真夜中になり、突然子供の悲鳴が聞こえたので、彼女も祖父母も驚いたが、すぐに戸が開いて「もう大丈夫です」と告げられた。両親に手を引かれて出て来た弟は、生気のない顔でグッタリしていた。
 両親と男の人が話している向こうの、次の間の奥に、彼女は中学生くらいの少年が立っているのを見た。少年は弟の両肩をつかんで押さえている。え? と思って両親の方に目を移すと、そこにも弟が居た。
 奥にいる弟は「お姉ちゃん。僕を置いていかないでよ。置いていかないで」と泣いていた。側に行こうとすると少年が「来てはいけません」と叫んだ。
 彼女は男の人に「早く外に出なさい」と促され、祖母に手を引っ張られて外に出された。入る時には誰も居なかったのに、庭の暗い木立の合間に大勢の人が立っていた。

 弟は何も覚えていなかった。
 雰囲気も変わっていた。やんちゃで手に負えない子だったのに、大人しく真面目な性格になっていた。
 家族でその話をするのはタブーになり、彼女はずっと心に引っかかるものを感じていた。弟は本物なのだろうか。“奥にいた弟”は今もあそこに居るのだろうか。
 彼女はあの屋敷を探し始めた。行ったのが夜だったので場所がよく分からない。似たような路地が入り組んだ地域で、見つけ出せないでいた。
 ある日彼女はばったりと祖母に出くわした。祖母は親戚の家の帰りだった。何故こんな所に来ているのか問われ、正直に答えた。祖母は近くの甘味処に彼女を連れて行き、詳しいいきさつを教えてくれた。
 弟は元々双子だった。もう一人は死産だった。
 両親はその子に〇〇と名前をつけ、お盆には戻って来てくれるよう毎年お菓子などをお供えしていた。弟が知るはずのないその名前を呼んでいるのを聞いて、これは頭を打った影響などではないと思った。親戚の家の近くに、狐憑きなどを直す霊能者がいると聞き、急いで連れて行ったのだった。お盆を過ぎてもあの世に返せないと、ずっと取り憑かれてしまうのだという。だからもうあの屋敷を探してはいけないし、弟にも喋ってはいけない。祖母と約束させられた。

 今でも彼女は時々思う。“奥にいた弟”はあの後どうなったのだろう。もう一度あの屋敷に行ってみたい。もう一度だけ、あの弟に会ってみたいと。

2021-08-13

注意!!

体調が悪くなった方がいらっしゃいますので、この話は朗読に使わないで下さい !

49.予言

 Dさんは若い頃父親と反目していた。
 高校を卒業する頃には口もきかなくなっており、県外に進学した後は、実家に寄り付かないまま都会で働いていた。
 父が倒れたと連絡があってもすぐには行かないで、もう本当に悪いようだと分かってから駆けつけた。父はすでに意識朦朧としていて、たまに目を開けても、時折意味不明な話しをするだけになっていた。
 当時Dさんは夢だった仕事に就けず、彼女もできず、先の見えない生活に疲れていた。しかし父はあんなに怒っていたDさんのことを「あいつは大丈夫だよ」と、母に言ったのだそうだ。「すごく良さそうな人と結婚して子供も3人出来るんだよ」と嬉しそうに喋っていたという。それから間もなくして亡くなった。

 20年後、母から農地を手放したいと連絡が来て、手続きの為に郷里を訪れた。見納めになるので、妻と3人の子供達も連れて、家から離れた場所にある畑を案内して歩いた。帰り道で娘の一人がバイバイと手を振るので聞くと、林の中からパパにそっくりなおじさんが、ニコニコしながらこちらを見ていたと言うのだった。

2020-12-31