37.提灯谷

 秋の連休に実家に帰ったAさん。父とキノコ狩りに山へ入った。子供の頃はよく行った馴染みの山なので油断してしまい、気がつくと父とはぐれていた。道に戻って待とうと思ったが道も見つからない。そんなに山奥には入っていないはずなのに、どっちに行っても田畑も見えない。完全に迷っていた。うろうろするうち日も暮れて、森の中は暗くなった。どうしようかと思っていたら、かすかに話し声が聞こえた。足元に気をつけながら声の方に進むと、大勢の人間が話しているらしい。黒い木々の影の間から、遠くにたくさんの明かりが見えた。それが並んだ提灯のようだったので、村で祭りでもやっているのかと思った。真っ暗な斜面を慎重に進んで行き、しばらく下にばかり気を取られていた。平らなところに出て顔を上げて、やっと正体が分かった。人魂の群れだった。
 慌てて斜面を戻り、つまずいたりぶつけたりしながら必死で走った。心臓がばくばくして限界になった時、不意に明るくなって視界がひらけた。村に出ていた。
 まだ日暮れでもなかったという。

2018-11-16

36.通り道

 山の麓の村で子供達が聞かされるのは、山で草がなぎ倒されているのを見つけたら、何をしている途中でも一目散に逃げ帰れという言いつけだった。草原に1メートルくらいの幅で押しつぶされた痕が、蛇行しながらどこまでも続いているのを見た人は、何人もいるのだった。

2018-11-16

35.鳥

 Gさんにはもう40年も心に引っかかっている記憶がある。彼がまだ故郷の山間の村に暮らしていた頃の話だ。
 その日昼食を食べ終わって車に向かうと、頭上を大きな黒い影が横切った。見上げるとそれは、翼を広げた長さが5メートルもある鳥だった。車庫の大きさと同じくらいだったので間違いない。しかもその鳥は人間の幼児を掴んでいたのだ。
 追いかけたが見失い、慌てて家に戻り家族に訴えたが相手にされず、夢でも見たんだろうとからかわれた。警察へ電話しようとしたのも止められた。
 誰にも信じてもらえなかったので、Gさんはそれ以来この件について喋らなかった。しかし行方不明事件がなかったかずっと気にかけていて、子供が見つからないと聞くと巨大な鳥を思い出してしまう。
 今でもふと、あの時どうすれば良かったのかと考える。

2019-03-26

10.同じ山

 Mさんの町はある山地の登山口になっている。
 もう10年以上も前に別れた夫が気になり始めたきっかけは、職場での雑談だった。息子の山好きは父親譲りと話していたら、何故離婚したのか聞かれた。

 夫はある日を境にほとんど喋らなくなり、会社からは無断欠勤していると電話があった。Mさんは浮気を疑い問い詰めたが、何を聞いても反応がなく、夫婦仲は悪化した。一方で頻繁に山に出かけ、息子も一緒にと執拗に誘っていた。前は喜んでついて行った息子が頑なに拒むので、理由を聞いたら「あれはパパじゃない」と言ったのだ。夫婦の問題が、息子にまで悪影響を与えていると思った。

 Mさんの話を聞いていた同僚が、昔親戚の娘さんが破談になった理由が、よく似ていると言い出した。婚約者が、人が変わったように寡黙になり、会社にも行かなくなったのだった。「山から帰ったら別人になっていた」と訴える娘さんを心配した両親が、急遽結婚式を取り止めた。しかし親族の騒ぎをよそに、彼は楽しそうに山歩きに熱中していたらしい。

 男の態度が急に冷たくなるのは珍しくないかもしれない。ただ引っかかったのは、夫が変わったのも、同じ山に行った後なのだ。時期も同じ頃のようだった。そして去年その山に行った息子が、元夫を目撃していた。そこは途中に岩場や藪がありトレイルランをするようなルートではないが、息子たちのグループを走って追い越して行った男が、間違いなく父親だったという。

 50を過ぎている彼は笑みを浮かべ、若者たちが驚嘆するようなスピードで、急坂を駆け上がって見えなくなった。

2018-05-26 00:00