38.皆殺しの家

 私が若い頃住んでいた町に、ある洋館があった。庭には樹木が鬱蒼と生い茂り、階段部分と思われる丸い塔が印象的な、小さな屋敷だった。友人と前を通った時に、その話を聞かされた。本当にそんな事があったのかどうかは、分からないと言っていた。
 この屋敷は近所で「皆殺しの家」と呼ばれており、そのきっかけはずっと昔の一家心中事件だった。ひとり十代の少年だけが生き残り、他の家族全員を殺したのではないかと噂が立った。その後長い間空き家だったのだが、敷地の一部にアパートが建ち、大家をしている男が生き残りの息子かもしれないという。
 「全部ただの噂だけどね」と友人は言って、「でも⋯」と続けた。
 「うちの犬達が散歩の時、あの家に近づくのをすごく嫌がるのよ」

2020-02-27

27.増えてゆく

 Uさんが家を建てた時、向かいの屋敷はすでに空き家だった。庭木は鬱蒼と茂っていたが、たまに手入れに訪れる男性もいて、特に問題は感じなかった。むしろその丸い塔のある小さな洋館は、おしゃれで敷地も広く、羨ましいくらいだった。

 最初に変だと気付いたのは、Uさんや家族ではなく姪のM子だ。その年大学に落ちたM子は、翌年東京の大学を受け直す為、Uさんの家に下宿して予備校に通い始めた。小さい頃から何度も遊びに来ていたし、それまでは大丈夫だった。

 しかしM子が来て何日も経たない夜に、屋敷に誰かいると言い出した。2階の自分の部屋から、向かいの窓辺に人影が見えるという。Uさんが見に行っても何も分からなかったが、それから度々同じようなことを言った。灯りもついていない洋館の窓に、黒い人影が立つのだという。M子は次第に怖がるようになり、自分の部屋ではなく茶の間で寝るようになった。「だって増えてるのよ。どんどん増えてるの」「今では全部の窓に人が立ってるのよ」M子の様子は明らかにおかしくなっていた。もともと感受性の鋭い子だったので、受験の失敗や環境の変化で、まいっているのだと思った。そしてついに「外に出て来た」と言い始めた。Uさん達には向かいの庭は真っ暗でよく見えないのに、M子は木々の間に黒い人が立っていると訴える。それが増え続けて「庭いっぱいにぎっしり人が立っている!」と叫んだ後、自分の実家に帰って行った。

 Uさんはその後一度だけ、向かいの屋敷に来ていた男に、声をかける機会があった。「この家に住むか売るかしないんですか? もったいないじゃありませんか」 彼は静かに微笑んで「ここは売れないんです」と答えた。「何故ですか」と聞いても「事情がありましてね」と言うだけだった。

2019-07-04 19:45

7.カノモ様

 中学時代に友人の家に連れて行ってもらって驚いた。港を望む小山の中腹まで、神社のような階段を上がって行くと、大きな屋敷と濡れ縁で繋がった離れがあり、広い庭を挟んでもうひとつの屋敷もあった。裏手の山の斜面には小さな社が据えられ、この一族の守り神を祀っている。社の中には井戸のような縦穴が開いていて、古来からこの地を治める”カノモ様”の、通り道だと言い伝えられていた。

 ”カノモ様”は新月の晩だけ現れるが、その姿を見てはいけない。誰も姿を見てはいないが、お供えの鶏やお神酒はいつも綺麗に無くなっていると言う。

 友人が生まれるずっと前に屋敷で騒ぎがあった。まだ幼かった兄によると、真夜中に突然もの凄い悲鳴が上がり目が覚めた。男の声で「来るな! 来るな! 来るなーーっ!」と聞こえた。大人達が次々に、バタバタと縁側から降りる音がして、障子を開けて廊下に出ると、真っ暗な庭で男が取り押さえられていた。彼は激しく抵抗しながら「来るな!来るな!」と叫び続け、泡を吹いて痙攣し始めた。その横では女が泣き喚き、警官や医者も駆けつけたそうだが、夜風の冷たさと眠気に負けて布団に戻り、その後どうなったかは見ていない。

 後日の大人達の会話で何となく分かったのは、男は住み込みのお手伝いさんに会いに来て、誰にも見つからないうちに引き上げようとしたが、その晩は新月で、外に出てはいけない時間だった。見てはいけないものを見たのだ。

 この辺りの者なら深夜には絶対屋敷に近づかない。他所から来たあの男は3日間痙攣し続けて死んでしまった。またお手伝いさんも様子がおかしくなり、実家に帰った。

 彼女もまた「来ないで!来ないで!来ないで!」と叫び続けていたそうだ。

2017-10-20 02:00