50.かまいたち

ずっと以前Fさんの通学路の途中には、野原があった。子供達は皆、近道としてそこを横断していた。「あの草むらには“かまいたち”が居るから近づくな」と、祖母に注意されても、気にしていなかった。

 その日、いつも何かにつけて対抗心をむき出しにしてくるクラスメイトと、言い争いをしながら野原を通った。きつい言葉を言われて、思わず手を出しそうになった時、悲鳴が上がった。クラスメイトの手のひらに、カミソリで切ったような痕があり、血が滴っていた。草で切れたのだろうが、あまりにもぴったりのタイミングだったので、もしかして自分は超能力者ではないかと考えたりした。
 数日後にまた同じクラスメイトと、同じ場所を歩く機会があり、Fさんはどうしても試してみたくなってしまった。「切れろ! 切れろ! 切れろっ!!」と強く念じると、腕の外側に、シュパッと一直線の傷が付いたのだ。

 家に帰ってこの話をすると、祖母は「お前は自分のしたことが分かっちょらん。“かまいたち”は戻ってくるんよ」と怒った。
 しかし数年も経つとFさんは、何もかもすっかり忘れてしまっていた。ある日学校で揉め事が起き、自分を小突きまわした奴を、思いっきり突き飛ばした。倒れ込んだ相手の頬が、耳から唇のあたりまで、ザックリと切れていた。すぐに病院に運ばれたものの、傷跡はずっと残っていた。Fさんは、野原でなくても“かまいたち”は出るのだと知った。

  さらに年月が経ち、働き始めたFさんが、書類の束をまとめる作業をしていると、突然手のひらが切れた。紙の端で切ったのかと思った。
 数日後、外を歩いていると急に痛みを感じ、確かめると腕の外側に一直線の傷が付いていた。
 “かまいたち”の件がふと頭に浮かんだのは、どちらの傷も昔見たのとよく似ていたからだ。あの時祖母が何と言っていたか、必死に思い出そうとした。
 “かまいたち”は何年も後になってから、ブーメランのように自分の元に戻ってくる⋯ではなかったか。
 Fさんは数年後が怖いのだと言った。

2021-07-20

44.寝息

 Iさんはその夜何故か目が覚めた。カーテン越しの窓がまだ暗かったので、もう少し眠ろうとして気が付いた。誰かの寝息が聞こえる。ググッ⋯グゥと少し苦しそうな低い音が、自分のすぐ側でしていた。壁際に敷いた布団と窓との間にはコタツを置いてあり、その中から聞こえるようだった。
 慌てて飛び起き電気を点け、コタツ布団をめくっても誰も居ない。一人暮らしだし、隣室の音が聞こえる部屋でもないので、不思議だった。

 だいぶ経ってすっかり忘れていた夏の夜半、またあの寝息に気付いた。布団を外してテーブルとして使っているコタツの方を向くと、窓からのかすかな明かりに浮かび上がって、黒くて丸いものがあった。急いで電気を点けて覗くと、無くなっていた。
 3回目に寝息を聞いた夜、正体を確かめたくて、暗がりの中目を凝らしてコタツの下を見ていた。小さな猫くらいの大きさの黒い毛並みの何かが、ただずっと寝息を立てていた。害は無いようだと思った。添い寝に来る同居人がいるような感覚で、2年も暮らしていたのだという。
 翌日は早朝から引越しで、遅くまで荷造りをしていた晩、壁際にダンボールを並べたので、コタツを挟んでいつもと反対の窓際で寝た。そしてまだ暗い朝方ふと目覚め、ついに見てしまった。

 それは男の生首だった。
 苦悶の表情を浮かべ、小さなうめき声を搾り出しながら、Iさんの方を睨んでいたのだ。

2020-07-10

41.足跡

 前日のような猛吹雪ではないものの、断続的に雪が降っていた深夜、Nさんは布団の中で足音を聞いた。ギュッギュッと雪を踏みしめながら、遠ざかったり近づいたりする。こんな底冷えのする夜更けに、どうしたんだろうと考えていた。近隣の家とは離れているし、土地の人間はこんな日には外に出ない。やがて寝落ちしていたらしく、ズン! という振動で目が覚めた。屋根から雪が落ちたらしい。続いて天井から響いてきた「ドッドッドッドッ」という音に覚えがあった。子供の頃にも確かに聞いた音だった。

 やっと晴れた翌朝、Nさんは新雪の上に、幾重にも重なる足跡を見た。それは靴跡ではなく、ただ丸い指も何もない跡だった。家のまわりを何周もぐるぐる回っており、見上げると急傾斜の屋根にも付いていた。
 昔 祖母は、雪の降り続く夜は外に出るなと言っていた。あの音がする天井を指して、雪鬼に食われてしまうぞと。あれは遭難しないための戒めと受け取っていたが、今では本当にいたと思う。

 2019-03-26

40.年越し

 年越しの夜は親族以外の者を迎え入れてはならない。戸締りをした後、ドアや窓を叩く誰かがいても、決して開けてはいけない。”彼等”は招き入れない限り入れないのだから。
 もし開けてしまったら次の大晦日まで”それ”を追い出す方法はない。

2019-07-12

36.通り道

 山の麓の村で子供達が聞かされるのは、山で草がなぎ倒されているのを見つけたら、何をしている途中でも一目散に逃げ帰れという言いつけだった。草原に1メートルくらいの幅で押しつぶされた痕が、蛇行しながらどこまでも続いているのを見た人は、何人もいるのだった。

2018-11-16