16.その男

 Eさんは一度倒れて死にかけた。その時のことは覚えていない。怖かったのは退院してからだった。
 マンションに戻ってドアを開け、中に入って閉じようとしたら、何かに引っかかった。確かに手応えはあったのに、何も見当たらないので、そのまま閉めた。部屋は妙に息苦しい。シャワーを浴びると、半透明の扉の向こうを、影がよぎったような気がした。夜も寝苦しくてたまらない。全ては自分の体調が戻っていないせいだと思った。

 数日経って、会社の人間と会う約束をした。先にカフェに着いて、窓際の席に座ると、店員には待ち合わせだと告げていないのに、水を二つ置いて行った。さらに同僚が、到着するなり「さっきの人は?」と聞いてきた。最初から自分一人なのに、外から見た時、横にもう一人居たと言って譲らない。お互い釈然としないままだった。

 同じようなことがそれからも続いた。ビルのエレベーターで乗り合わせた人が、自分が降りた後も開ボタンを押し続けている。タクシーを降りようとすると、運転手が振り返って「あれっ! もう一人の方は?」と驚いている。気味が悪かった。
 部屋の中では、物の置き場所がずれているような気がする。歩くと足音が少し遅れて響く。何かがおかしいとしか思えなかった。
 そして会社に復帰した日の午後、トイレに行って鏡の前に立った瞬間に、ついにその男を見たのだった。

 Eさんはまた倒れ、気がついた時には病院にいた。

 今でもあの時見たもの、斜め後ろに寄り添うように、自分に瓜二つの男が立っていたのを、はっきりと思い出せるという。

2018-08-12 16:00