41.足跡

 前日のような猛吹雪ではないものの、断続的に雪が降っていた深夜、Nさんは布団の中で足音を聞いた。ギュッギュッと雪を踏みしめながら、遠ざかったり近づいたりする。こんな底冷えのする夜更けに、どうしたんだろうと考えていた。近隣の家とは離れているし、土地の人間はこんな日には外に出ない。やがて寝落ちしていたらしく、ズン! という振動で目が覚めた。屋根から雪が落ちたらしい。続いて天井から響いてきた「ドッドッドッドッ」という音に覚えがあった。子供の頃にも確かに聞いた音だった。

 やっと晴れた翌朝、Nさんは新雪の上に、幾重にも重なる足跡を見た。それは靴跡ではなく、ただ丸い指も何もない跡だった。家のまわりを何周もぐるぐる回っており、見上げると急傾斜の屋根にも付いていた。
 昔 祖母は、雪の降り続く夜は外に出るなと言っていた。あの音がする天井を指して、雪鬼に食われてしまうぞと。あれは遭難しないための戒めと受け取っていたが、今では本当にいたと思う。

 2019-03-26

40.年越し

 年越しの夜は親族以外の者を迎え入れてはならない。戸締りをした後、ドアや窓を叩く誰かがいても、決して開けてはいけない。”彼等”は招き入れない限り入れないのだから。
 もし開けてしまったら次の大晦日まで”それ”を追い出す方法はない。

2019-07-12

36.通り道

 山の麓の村で子供達が聞かされるのは、山で草がなぎ倒されているのを見つけたら、何をしている途中でも一目散に逃げ帰れという言いつけだった。草原に1メートルくらいの幅で押しつぶされた痕が、蛇行しながらどこまでも続いているのを見た人は、何人もいるのだった。

2018-11-16

34.河童

 Wさんが若い頃大雨で浸水被害の出た年があった。その日村の男達は全員駆り出され、Wさんも先輩と組んで警戒に当たっていた。
 厚い雨雲のせいで昼なのに暗い道を、二人で川沿いの神社を目指して歩いていると、鳥居の前に緑のレインウェアの人が5人立っているのが見えた。皆小柄で痩せていた。隣村の連中が来ているのかと思ったが、50メートルほどの距離に近づいた時、不意に先輩が立ち止まり「ありゃ人間ではねぇな」と言ったのだ。
 視界も霞むほどの雨の中よく見ると、レインウェアを着ていると思ったのは、彼らが緑色だったからだ。頭の先からつま先まで全部が暗い緑だった。すぐに向こうもこちらに気付き、一人が「キェーーッ」と叫ぶと、次々に濁流の川に飛び込んで消えた。
 村には古くから河童の目撃談があり、鳥居の脇には河童を祀った祠もあった。この日の豪雨でその祠も流され、その後河童を見た人はいない。

2019-07-12

33.影取り

 Jさんがまだ中学生だった頃、夏休みは毎日部活の練習に通っていた。いつも通る道の曲がり角には、かなり大きな木がせり出していた。
 ある日その角を曲がった途端、飛び出してきた男とぶつかりそうになった。びっくりして立ちすくむと、男は全速力で走って行ってしまい、木陰にいた二人の子供に笑われた。気を取り直して歩き出したら、後ろから声をかけられた。「影取りだよ」「あなたの番だよ」何を言ってるのだろうと思った。

 ところが Jさんは、練習中のグラウンドで気が付いた。自分だけ影が無いのだ。オロオロしていると、チームメイトが集まって来て、先輩達も相談に乗ってくれた。とりあえずあの木まで行ってみることになった。しかし周囲を探しても、もうあの子達は居ないし、どうすればいいか分からない。夕方になり、その日は解散するしかなかった。家に帰っても母親に言いそびれたまま、翌日になれば影が戻っているのではないかと、期待していた。

 翌朝やっぱり影は無く、家を出て木の所に向かった。木陰から時々通る人を見ていて、昨日の男を思い出した。するといつのまに来たのか、子供達の声が背後から「あなたの番だよ」「取るんだよ」と言う。「どういう意味?」と聞こうとして、振り返って固まった。昨日はよく見ていなかった二人の、顔だけが老人だったのだ。
 思わず後ずさりした時、ちょうど通りかかった人がいた。「今だよ」「影取りだよ」 Jさんはハッとして、木陰から飛び出して走って逃げた。影は戻っていた。

 あの時の大樹はしばらく後に、区画整理で切り倒された。Jさんは大人になるにつれ、あれは本当の出来事だったんだろうかと疑うようになり、やがて忘れかけていた。だが去年の夏、電車の窓から偶然その光景を見て、思い出した。
 線路沿いの通りを行き交う人達の中に、ひとりだけ影の無い人が、歩いていたのだった。

2019-08-16 16:00