55.廃村

 Jさんが幼かった頃、奇妙な車列を見たことがある。

 10台くらいの軽トラが連なって、真っ黒で巨大な木桶を運んでいた。蓋をして縛った桶を重ね、それぞれの荷台に積めるだけ積んで、目の前を通り過ぎて行った。運転席には運転手以外に2・3人ずつの大人や子供が座っていた。

 一緒に居た両親に「あれは何?」と聞いたら、どちらも押し黙って怖い顔をしていた。

 ずっと後になって、家族でその時のことが話題に上り、大人達から事情が聞けた。

 Jさんの出身は当時住んでいた町ではなくて、ずっと山奥の村だったのだそうだ。

 昔 雪の降る晩、Jさん一家の住居に、一人の若い女が訪ねて来た。近隣の村では見た覚えのない顔だった。

 応対に出た母に「飯を食わせてもらいたい」と言った。母はどうしたものかと考えた。雪の中で道に迷ったのかもしれないと思ったからだ。 しかし後ろから見ていた祖母が「家に入れてはならん!」と叫んだ。祖母はとても感が鋭く、人を見抜く目も確かだった。母は、台所にあったあり合わせの食べ物を包んで来て、戸口で渡し中には入れなかった。女は無言で去った。

 小一時間が過ぎて、深々と降る雪の中に、悲鳴が聞こえたような気がした。しばらくしてまた悲鳴が聞こえ、遠くかすかに悲鳴が続いた。家族は集まって相談した。この当時村に電話は無く、下の集落までは雪が無くても男の足で30分はかかった。街灯も無い真っ暗な中、何が起こっているか分からないのに、外に出るのは得策ではなかった。

 家族で集まってやり過ごし、夜が明けるとすぐに父と祖父が、様子を見に出て行った。

 まず隣の家に向かうと、まだ薄明かりの中、家の者が全員庭に出ていた。それぞれがバラバラに、あっちこっちを向いて、ただ立っていた。変わりはないかと尋ねると、何もないと言った。女も見ていないと言う。その口振りがどこかおかしかったものの、別の家に向かった。

 十数軒あった村の家を全部廻り、全部の家が同じだった。

 皆が「何もない」「何もなかった」「何も起こっていない」と答えたが、不気味だった。

 この日から村人達は、ほとんど話さなくなり、無表情になったのだ。

 Jさんの一家は村を出た。

 村を出ると告げた時も反応が無く、見送りもなかった。二度と戻らなくて済むように、運べるものは全部車に積んで、親類を頼りに町に出て来たのだという。

 あの日見た車列の軽トラに乗っていたのは、全員村人達だったのだ。

 どの家も、その後誰かが来た様子もなく朽ち果て、廃村になった。

2023-03-01

54.車窓

 Iさんがその日に限って反対方向の路線に乗ったのは、ある有名洋菓子店に寄ろうとしたからだった。

 前日仕事のトラブルで深夜まで対処に追われ、家に着くと妻がポツリと「今日私の誕生日だったのよ」と言った。Iさんが残業で仕方なかった説明をすると、妻は黙って諦めた顔をしていた。

 いつもならそのまま過ぎてしまうが、何故かこの時はどうしても埋め合わせをしておきたかった。前の年、たまたま妻の誕生日に、取引先から高級ケーキをお土産に頂き、それを持って帰ると、貰い物だと聞いても妻はとても喜んだ。その店のケーキを買って帰りたかったのだ。

 乗り換えた電車で空席を見付け、腰掛けたところまでは覚えている。

 目を覚まし、いつの間に寝てしまったのだろうとぼんやり見回すと、各車両に一人ずつくらいしか客が居なくなっていた。みんな眠っているようだ。

 外はまだ夕暮れなので、それほど時間は経っていないらしい。足元の木製の床やレトロな雰囲気の座席を見ても、こういうタイプの車両もあったのだなと思っただけだった。しかし振り返って窓の外を見て驚いた。

 電車は深い渓谷沿いを走っていた。谷を挟んで反対側には山並みが続き、なんとも言いようのない綺麗な風景だったのだ。

 この路線の先はこんな所だっただろうかと疑問も湧いたが、それより目の前の美しい光景を写真に撮ろうと、カバンの中を探した。いつも持ち歩いているコンパクトカメラを取り出し、車窓の風景を狙った。逆光でどうしてもうまく撮れなかった。

 やがて渓谷の先に真っ赤な橋が見えて来た。橋を渡った向こう側へと線路が続いていた。その先にはさらに美しい景色が広がっているのが分かった。

 しかしIさんの頭には突然「早く次の駅で降りて戻らなければ店が閉まってしまう」という考えが浮かんだ。そしてまた意識が飛んだ。

 次に目覚めたのは病院のベッドだった。電車の中で倒れていた。

 一度は心臓が止まったIさんに、再び心拍が戻った時、うわ言で店の名前を呟いたそうだ。その場にいた人から聞いた妻は、何故Iさんが滅多に使わない路線の電車に乗ったか理解した。「忙しいのに無理しなくて良いのよ」と言った。

 しばらくしてIさんは、カバンの中にあったカメラの写真を順番に見ていた。最後に、真っ白な光のハレーションの中に、うっすらと山並みのようなものが見て取れるショットが残っていた。

2023-02-28

53.11月24日

 彼ら二人は仕事で、車の運転を交代しながら、山間部を廻っていた。
 いつも営業所に戻る途中で「この山を越えられればすぐなのにな」「1時間は短縮出来ますよね」などと話すポイントがあった。山裾を大回りする以外に、山越えのルートがあっても良さそうなのに、地図を見ると炭鉱跡があるにも関わらず道がない。しかしその日、同僚から昔の鉱石運搬用道路が載っている古い地図をもらい、探してみようという事になった。

 行ったり来たりして「この辺のはず⋯」と思うあたりをよく見ると、森の入り口に切れかかったしめ縄の様なものが渡された二本の大木がある。神社の参道かと思い通り過ぎていたが、車が通れる幅はあるので、行ける所まで行こうとした。
 道は舗装されておらず、すぐに登りになり、しだいにもやが出てきた。危ないので「戻ろうか」と言って、切り返せるスペースを探してそろそろと車を走らせていると、少し広そうな場所に出た。周囲を確かめる為に、二人とも車を降りた。すぐに声がするのに気が付いた。
 声からすると大勢がこちらに向かって来るらしい。

「人が来たのか?」「生きているのか?」「どこから来たんだ」「どうやって来たんだ」「喰えるのか?」「喰っちまおうよ」「喰いたいよ⋯」
 二人は慌てて車に乗り込み、元の道に戻ろうと方向を変えた。ヘッドライトの先に、大勢の黒い人影がうごめいていた。どれもただ真っ黒な煙の塊の様だった。
 そのうちのひときわ大きな者が、二人に向かって告げた。「今日は日が悪い。11月24日に改めて来い」影の群れの中を、少しずつ車を進めると、さらにこう叫んだ。「11月24日だ! 祭りの贄(にえ)にするでな!」
 もやの立ち込める細い道を、必死で運転して山を降り逃げた。

 営業所に戻ってこの話をすると、同僚達にからかわれた。誰も信じてくれなかったし、「また来いと言われて誰が行くか」と笑いながらも、11月24日になると気になって落ち着かなかった。何事も起こらずに過ぎて、その年も終わり近くになり、二人は仕事納めの挨拶まわりに出掛けた。
 帰って来なかった。

 担当していたルートでは車も見つからず、行方不明のまま新年になった。そして正月も過ぎた頃、あの山の麓の橋から転落している車が発見された。外に投げ出されていた二人の遺体は、動物や鳥に食い荒らされて無残な有様だったそうだ。
 同僚の誰かが、ふと気付いて口を開いた。
「11月24日って⋯もしかして旧暦の日付だったんじゃないですか」

2021-12-31

52.送り火

「迎え火」からの続き

 弟は一晩中走り、騒ぎ、父が止めようとしても、幼児とは信じられないくらいの力で振りほどいて逃げた。朝になって、ようやく眠ったので、父がおぶって母と病院に連れて行った。この時点ではまだ、事故の後遺症だと思っており、様々な検査をして夕方近くに帰って来た。母は貰ってきた薬を飲ませ、早めに弟を寝かしつけた。
 しかし日が暮れると、また鈴の音が聞こえ出した。どこかで軋む音がし、何かが割れるような音が響いた。引き出しが開き、食べ物が散乱し、弟は寝ているのに走り回る足音もして、家族は全員一部屋に集まり、夜明けまでやり過ごすしかなかった。
 次の日も暗くなると、同じ現象が起こった。家中がめちゃめちゃになり、どうしたらいいか分からないまま、皆が疲れ果てていた。彼女はいつの間にか眠っていた。

 4日目の昼過ぎ、彼女が目覚めると、父は仕事に行き、祖父母は親戚の家に出かけていて、母も大事な用事があると言う。「弟は寝ているから大丈夫。すぐ帰るから」と、彼女が怯えていたのに急いで出て行った。
 弟は起きていた。
 誰もいない場所に向かって「〇〇」と呼び掛けたり、囁いたり微笑んだりしていた。とても側にはいられないので、玄関先で家族の帰りを待った。
 やがて母が祖父母と知らない男の人を連れて来た。この人は線香の束のようなものに火を付け、煙を仰ぎながら家中を見て回った。家の外も一周歩き、迎え火を焚いた場所で立ち止まって、険しい顔をした。「何を燃やしたんですか」と問われて祖父母と母が首を傾げたので、彼女は弟のしていた事を教えた。男の人は塩のようなものを撒いて、お清めをした。

 その後父が帰ると、会社から借りて来た大型車に全員を乗せ、男の人の屋敷に向かった。そこはレンガ壁で囲まれた丸い塔のある小さな洋館で、広い庭に木々が茂っていた。洒落た屋敷だと思い印象に残った。
 彼女と祖父母は客間に通され、弟と両親は次の間に案内された。
 随分と長い間、低くお経のような声が聞こえているだけだった。真夜中になり、突然子供の悲鳴が聞こえたので、彼女も祖父母も驚いたが、すぐに戸が開いて「もう大丈夫です」と告げられた。両親に手を引かれて出て来た弟は、生気のない顔でグッタリしていた。
 両親と男の人が話している向こうの、次の間の奥に、彼女は中学生くらいの少年が立っているのを見た。少年は弟の両肩をつかんで押さえている。え? と思って両親の方に目を移すと、そこにも弟が居た。
 奥にいる弟は「お姉ちゃん。僕を置いていかないでよ。置いていかないで」と泣いていた。側に行こうとすると少年が「来てはいけません」と叫んだ。
 彼女は男の人に「早く外に出なさい」と促され、祖母に手を引っ張られて外に出された。入る時には誰も居なかったのに、庭の暗い木立の合間に大勢の人が立っていた。

 弟は何も覚えていなかった。
 雰囲気も変わっていた。やんちゃで手に負えない子だったのに、大人しく真面目な性格になっていた。
 家族でその話をするのはタブーになり、彼女はずっと心に引っかかるものを感じていた。弟は本物なのだろうか。“奥にいた弟”は今もあそこに居るのだろうか。
 彼女はあの屋敷を探し始めた。行ったのが夜だったので場所がよく分からない。似たような路地が入り組んだ地域で、見つけ出せないでいた。
 ある日彼女はばったりと祖母に出くわした。祖母は親戚の家の帰りだった。何故こんな所に来ているのか問われ、正直に答えた。祖母は近くの甘味処に彼女を連れて行き、詳しいいきさつを教えてくれた。
 弟は元々双子だった。もう一人は死産だった。
 両親はその子に〇〇と名前をつけ、お盆には戻って来てくれるよう毎年お菓子などをお供えしていた。弟が知るはずのないその名前を呼んでいるのを聞いて、これは頭を打った影響などではないと思った。親戚の家の近くに、狐憑きなどを直す霊能者がいると聞き、急いで連れて行ったのだった。お盆を過ぎてもあの世に返せないと、ずっと取り憑かれてしまうのだという。だからもうあの屋敷を探してはいけないし、弟にも喋ってはいけない。祖母と約束させられた。

 今でも彼女は時々思う。“奥にいた弟”はあの後どうなったのだろう。もう一度あの屋敷に行ってみたい。もう一度だけ、あの弟に会ってみたいと。

2021-08-13

注意!!

体調が悪くなった方がいらっしゃいますので、この話は朗読に使わないで下さい !

51.迎え火

 昭和30年頃、彼女が小学生だった時の話。

 その日の夕刻、祖母から迎え火の番をしているように言いつけられ、彼女が庭に出ると、炎に向かって小さな弟が何かを投げていた。何をしているのか尋ねると「猫が帰って来るかもしれないと思って⋯」と言った。弟はふた月ほど前に、貰ったばかりの子猫に逃げられ、追いかけて道に飛び出したところを車にはねられた。猫は死に、弟も一時重体だった。
 祖父から、死んだ人の魂が戻ってくる目印だと聞いて、焚き火の中に、猫が好きそうな食べ物を入れたのだそうだ。辺りに肉や魚が焦げるような匂いが漂っていた。

 異変が起こったのは夜になってからだった。
 最初は仏壇に置いてある鈴が鳴った。この鈴は仏具のおりんではなく、母が別に置いたものだ。彼女の家では「帰って来たら合図の鈴を鳴らす」と、代々年長者から伝えられていた。実際かすかに鈴が鳴ることがあったし、この時点では母も喜んでいた。お菓子の袋をたくさん並べ、ジュースも注いで来てお供えした。
 しかしこの夜は、何度もはっきり鈴が鳴ったのだ。彼女は次第に気味悪くなったが、両親も祖父母も、平気な顔をしていた。子供達を怖がらせないように配慮していたのだろう。彼女と弟が先に2階に寝に行こうと、「おやすみなさい」をした途端、今度はお菓子の袋が幾つも落ちた。さすがに両親も祖父母も、顔を見合わせて黙り込んだ。

 彼女は自分の部屋で、なかなか寝付けなかった。夜半にようやく眠りかけた頃、物音で目が覚めた。
 パタパタと誰かが階下を走っている。足音と一緒に鈴の音もする。ドアが開いたり閉じたり、何かがドサッと落ちる音もした。「うふふふ」と笑い声が聞こえた時、ついにたまらなくなって泣き出した。彼女の泣きじゃくる声に気付いて、隣室から母が来てくれた。父は様子を見に降りて行き、祖父母も起きたようだった。そして「ぎゃっ!」と悲鳴が上がり、誰かが階段を駆け上がって来た。
 彼女と母は、両手に生肉をわし掴みにしたまま、笑っている彼を見た。
 弟だった。

2021-08-13

 ※「送り火」につづく。

注意!!

事故に遭いそうになった方がいらっしゃいますので、この話は朗読に使わないで下さい !