45.ホテル・日本

 Aさんが出張で部下と泊まったビジネスホテル。
 夜遅くに戻ったツインルームで、それぞれのベッドに入って電気を消した。
 しばらくし目が覚めたAさんは、窓際の黒い影に気付いた。
 目を凝らしてみると、部屋に備え付けの寝間着を着た部下が床に座り、両脚を抱え頭を膝に埋めて、震えていたのだ。
 泣いているようにも見えたので、声をかけるのをためらった。
 知らない振りをした方が良いのだろうかと思い、寝返りを打って隣のベッドの方を向くと、そこに部下が居た。彼はそっと指で窓際を指し示しながら、必死に目で訴えていた。Aさんはうなずき、急いで明かりを点けて窓際を振り返った。
 部下と間違えた男は消えていた。

2020-12-31

44.寝息

 Iさんはその夜何故か目が覚めた。カーテン越しの窓がまだ暗かったので、もう少し眠ろうとして気が付いた。誰かの寝息が聞こえる。ググッ⋯グゥと少し苦しそうな低い音が、自分のすぐ側でしていた。壁際に敷いた布団と窓との間にはコタツを置いてあり、その中から聞こえるようだった。
 慌てて飛び起き電気を点け、コタツ布団をめくっても誰も居ない。一人暮らしだし、隣室の音が聞こえる部屋でもないので、不思議だった。

 だいぶ経ってすっかり忘れていた夏の夜半、またあの寝息に気付いた。布団を外してテーブルとして使っているコタツの方を向くと、窓からのかすかな明かりに浮かび上がって、黒くて丸いものがあった。急いで電気を点けて覗くと、無くなっていた。
 3回目に寝息を聞いた夜、正体を確かめたくて、暗がりの中目を凝らしてコタツの下を見ていた。小さな猫くらいの大きさの黒い毛並みの何かが、ただずっと寝息を立てていた。害は無いようだと思った。添い寝に来る同居人がいるような感覚で、2年も暮らしていたのだという。
 翌日は早朝から引越しで、遅くまで荷造りをしていた晩、壁際にダンボールを並べたので、コタツを挟んでいつもと反対の窓際で寝た。そしてまだ暗い朝方ふと目覚め、ついに見てしまった。

 それは男の生首だった。
 苦悶の表情を浮かべ、小さなうめき声を搾り出しながら、Iさんの方を睨んでいたのだ。

2020-07-10

43.眼

 Lさんが大学生の時、初めての彼女が出来た。当時2時間近くかけて自宅から通学していたので、便利な場所で一人暮らしをしたくてたまらなかった。そうすれば彼女とも、好きなだけ一緒に居られる。

 帰りが遅くなったある夜、大学の構内で先輩に声を掛けられた。「部屋を探してるんだろう?」彼が住んでいたアパートが、破格の値段で借りられると教えてくれた。あまり話した覚えのない男だったが、あちこちで安い部屋がないか尋ねて回っていたので、誰かに聞いたのだろうと思った。

 次の日そのアパートを見に行って大家に会った。大学3年だと伝えると、ちょうど良いと言う。取り壊しの予定があるので、卒業までなら安い値段で住んで良いそうだ。Lさんは引っ越しを決めた。

 その部屋は隙間風が吹き込んでとても寒く、壁の継ぎ目から明かりが漏れるようなボロ屋だった。それでもLさんは彼女と過ごせるだけで嬉しかった。あの晩小さな亀裂に気付くまでは…。

 壁と柱の間の低い位置に、亀裂があった。そこから射し込む隣の部屋の明かりが、大きくなったように感じた。屈み込んで確かめると、目が合った。向こうからもこちらを覗き込んでいた。
 Lさんはギョッとして、すぐにそこを塞ぐように家具を置いた。彼女には黙っていた。しかしそれ以降彼女は、異臭がすると訴え始めた。次第に自分でも匂いが分かるようになり、大家が確認すると、隣の部屋の住人が首を吊っていた。
   先輩だった。

 今でも信じられないのが、警察の鑑定による彼の死亡時期は、Lさんが亀裂の眼を見た晩よりも、かなり前だった事だ。

2020-04-03 21:19 

42.無限鏡

 合わせ鏡の都市伝説は多い。特定の日時に無限に映る鏡の迷路から悪魔が現れるとか、何枚目かの鏡に自分の死に顔が映っているとかだ。しかしこの現象の、真の怖さを知る人間は少ない。
 無限鏡を出現させる度に、あなたの居る世界は、少しずつずれて行く。
 昨日買ったはずの物が消えていたり、逆に買わなかったはずの物があったりする。友達が約束を覚えていなかったり、服の色が変わっていたり、何かちょっとした事が変化してしまう。これを繰り返していると、世界はどんどん奇妙で恐ろしい場所になり、元に戻る方法はない。

2020-6-19

41.足跡

 前日のような猛吹雪ではないものの、断続的に雪が降っていた深夜、Nさんは布団の中で足音を聞いた。ギュッギュッと雪を踏みしめながら、遠ざかったり近づいたりする。こんな底冷えのする夜更けに、どうしたんだろうと考えていた。近隣の家とは離れているし、土地の人間はこんな日には外に出ない。やがて寝落ちしていたらしく、ズン! という振動で目が覚めた。屋根から雪が落ちたらしい。続いて天井から響いてきた「ドッドッドッドッ」という音に覚えがあった。子供の頃にも確かに聞いた音だった。

 やっと晴れた翌朝、Nさんは新雪の上に、幾重にも重なる足跡を見た。それは靴跡ではなく、ただ丸い指も何もない跡だった。家のまわりを何周もぐるぐる回っており、見上げると急傾斜の屋根にも付いていた。
 昔 祖母は、雪の降り続く夜は外に出るなと言っていた。あの音がする天井を指して、雪鬼に食われてしまうぞと。あれは遭難しないための戒めと受け取っていたが、今では本当にいたと思う。

 2019-03-26