30.人魚

 その海辺の村には古くからの掟があり、春の大潮の夜に海に行ってはならない。人家から離れた小さな入り江に、人魚達がやって来る。人魚は美しく、どんな男も一目で魅入られてしまう。しかし彼女達は繁殖の相手を、行為が終わると喰うのだ。夜明けの静かな海面が、被害者の鮮血で赤く染まると言う。

2018-11-16

29.墓参

 祖父の新盆にRさんが本家に到着したのは夕方だった。親族はすでに墓参を済ませ、慌ただしく宴席の用意をしていた。Rさんは手伝わなくていいと言われ、手持ち無沙汰だったので、線香を手向けに墓まで行ってみることにした。
 田舎の墓地はとても広い。いつもは大勢で行くので、誰かと一緒に歩いていれば良かった。ひとりだと大体の見当はついていても、久しぶりのせいかたどり着けない。
 すでに日が傾き始めた薄暮の中、たくさんの線香の煙で霞がかかり、余計場所が分かりにくくなっていた。まだあちらこちらに人が歩いていたし、そこら中に灯明もあったので、怖くはないが迷ってしまった。

 どうしようかと思った時、後ろから「〇〇」と自分を呼ぶ声がして、振り向くと急に視界がクリアになった。さっきまであんなにたなびいていた煙が消え、灯明も無くなっていた。歩いていた人達も誰もいない。
 声が聞こえた方に祖父の墓があったのだった。

2019-08-13 16:00

28.雨男

  ある小学校の児童の間で噂が広がった時期がある。雨の日になると校門前に現れる男の、顔を見たら死ぬのだという。
  その男は黒い大きな傘を目深にさしていて、首から上は隠れている。雨が降るといつの間にか現れ、長い時間ただ黙って立っていた。校門を出る時はみんな、男の方を見ないように、走って通り過ぎていた。
  ところがある日児童の一人が、ちょうど男の目の前で転んだ。その子は立ち上がる時、ちらっと顔を見てしまった。「うわわぁ!」と叫んで走り出し、先の交差点で車にはねられた。以前にも事故の起こった場所だった。

  救急車が到着するまで側にいた友達は、その子が話すのを聞いていた。「泣いてたんだよ。ボロボロ泣いてた」「死ぬぞって言ってた」 救急車に乗るまでは会話もできたのに、病院で容体が急変した。この事件以降、雨男は見かけなくなった。

 ずっと後になって、あれは最初の事故で子供を亡くし、自殺したお父さんだったのではないかと言われるようになった。
  今はこの小学校も統廃合で無くなっている。

2019-05-11

27.増えてゆく

 Uさんが家を建てた時、向かいの屋敷はすでに空き家だった。庭木は鬱蒼と茂っていたが、たまに手入れに訪れる男性もいて、特に問題は感じなかった。むしろその丸い塔のある小さな洋館は、おしゃれで敷地も広く、羨ましいくらいだった。

 最初に変だと気付いたのは、Uさんや家族ではなく姪のM子だ。その年大学に落ちたM子は、翌年東京の大学を受け直す為、Uさんの家に下宿して予備校に通い始めた。小さい頃から何度も遊びに来ていたし、それまでは大丈夫だった。

 しかしM子が来て何日も経たない夜に、屋敷に誰かいると言い出した。2階の自分の部屋から、向かいの窓辺に人影が見えるという。Uさんが見に行っても何も分からなかったが、それから度々同じようなことを言った。灯りもついていない洋館の窓に、黒い人影が立つのだという。M子は次第に怖がるようになり、自分の部屋ではなく茶の間で寝るようになった。「だって増えてるのよ。どんどん増えてるの」「今では全部の窓に人が立ってるのよ」M子の様子は明らかにおかしくなっていた。もともと感受性の鋭い子だったので、受験の失敗や環境の変化で、まいっているのだと思った。そしてついに「外に出て来た」と言い始めた。Uさん達には向かいの庭は真っ暗でよく見えないのに、M子は木々の間に黒い人が立っていると訴える。それが増え続けて「庭いっぱいにぎっしり人が立っている!」と叫んだ後、自分の実家に帰って行った。

 Uさんはその後一度だけ、向かいの屋敷に来ていた男に、声をかける機会があった。「この家に住むか売るかしないんですか? もったいないじゃありませんか」 彼は静かに微笑んで「ここは売れないんです」と答えた。「何故ですか」と聞いても「事情がありましてね」と言うだけだった。

2019-07-04 19:45

26.雨の夜は

 若い頃バイト先で知り合った人に、アパートに招かれた。彼女は隣家の緑が気に入って、部屋を決めた。窓からは鬱蒼と茂る樹木の奥に、丸い塔のある小さな洋館が見えていた。そしてこの部屋に住み始めて間もない頃の、ある話を聞かせてくれた。

 その雨の日。彼女は真夜中にトイレに起きて戻って来た。電気を消して布団に入ってすぐ、誰かが横を通った。まさかと思って見回しても暗くて何も見えない。また誰かが通った気配がして耳を澄ますと、ザーザーという雨音の中にひたひたと小さな足音が混じっている。息を潜めて固まっているうちに、暗闇に目が慣れてきた。
 窓の方から静かに黒い影がやって来る。自分の横を通って玄関の方へ消えて行く。次々にひたひたとやって来ては通り過ぎて行った。おそらく何十人もいた。そしてどのくらい経ったのか分からないが、今度は玄関の方から戻って来たのだ。
 全てが終わるまで、動くことも眠ることもできなかった。

 このアパートの大家は40代くらいの穏やかな雰囲気の男性で、端の部屋に住んでいた。田舎から出て来たばかりで知り合いもいなかった彼女は、大家に昨夜の出来事を訴えた。彼は話を聞いて「雨の夜は繋がるからね」と呟き、不思議な文様のお札をくれた。指示された通り部屋の中央に清酒を注いだコップを置き、窓と玄関を塩で清めてから、天井にお札を貼った。冷んやりしていた空気が和らぐ感覚があった。
 以来何も起こらないそうだ。

2019-06-27 18:40