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第6景

「夢想宮・青年」

 4歳くらいでよく覚えてません。
 母が家を出て行きました。僕を残して。
 すぐに新しい母が来ました。お腹が大きくて、翌年には妹が産まれました。
 僕はびっくりして混乱して、泣いたりわめいたり手がつけられない子供だったと思います。何をするのもいやだいやだと騒いで抵抗し、どうにもならなくなると黙って口を聞きませんでした。義母はとても困ったのでしょう。
 まだ小さな僕に向かって、あなたのお母さんは最初の妻じゃないと言いました。あなたのお母さんも私と同じなんだと。
 意味が良く理解できなかったのに、胸に刺さる言葉でした。それから義母との間には、透明なカーテンのようなものがある気がします。

 親父はだらしない男でした。誰にでも優しくて、何でも安請け合いするわりに、ろくに約束を守らないで平気な奴です。女好きで、浮気を繰り返してもいました。義母に言い訳をしてるのを、何度も聞きました。なのに明るくて話が上手くて人に好かれる性格でした。仕事も出来たようです。

 妹は僕と違い、華やかで社交的で、甘やかされて上手くやっていました。妹と仲が悪かったわけではないけど、年の離れた女の子なので話も合わないし、一緒に遊んだりはしなかったです。

 僕は8歳でスポーツクラブに入って、それからはスポーツばっかりやってました。最初は友達に誘われたからです。学校からクラブに直行して、練習が終わると自主練して、帰りはいつも夕飯時でした。
 要するにあまり家に帰りたくなかったんです。
 義母は僕の世話をきちんとしてましたよ。意地悪をされてもいないです。でも微妙に居心地が悪かったとしか言えません。

 高校生になると、県大会や全国大会で、遠くまで遠征するようになりました。あれはチームのバスに乗って移動してる最中でした。
 交差点で信号待ちしてる時、通り沿いにあるレストランの窓際の席に、ふと目が止まりました。仲の良さそうな家族が、和やかに食事していました。父と義母と妹でした。
 僕が居ないと、あんなに楽しそうなんだと思いました。

 僕は一応チームのレギュラーでした。練習をたくさんやっていたので、上手くはなります。上手くなると嬉しいです。でも熱意というか、どうしても勝ちたいとか、負けたくないとか、気持ちの強さが足りませんでした。一流になる奴にはみんなそれがありました。

 大学入試の時期になり、僕はスポーツ推薦枠に、選ばれませんでした。一般入試では学力が足りません。父はコネのある地元の学校に行けと言いました。だけどどうしても遠くに行きたかったんです。

 大きな街の郊外にある大企業の工場に、就職を決めて家を出ました。勉強は好きじゃないので、体を動かして働く方が、性に合ってます。寮があって、食堂とランドリースペースもあるので、暮らしにあまり不便はなかったです。休日には同じ寮の仲間達と、街に出て遊びました。
 数年間働いて一通りの仕事が出来るようになると、作業工程を少し工夫したりして、工場長にも褒められました。スポーツ以外で褒められたのは、初めてだったかもしれません。けれどあの年、工場の閉鎖が決まったんです。

 幹部や本社から来ている人を除き、ほとんどの従業員が解雇されました。僕も当然その中に含まれるはずでした。工場長が、本社転勤リストに僕の名前を入れたと聞いて、嘘じゃないかと聞き返したほどです。君は真面目だしよくやっている。頑張りなさいと送り出されました。

 街の中にアパートを探して、一人暮らしが始まりました。家賃も高いし、すべてを自分でやらなきゃなりません。引っ越しと必要なものを揃えるのに、貯金のほとんどを使いました。親父に頼めば、多分金を送ってくれたでしょう。でも頼みたくなかった。実家とはほとんど連絡をとっていませんでした。向こうからの電話も無かったです。
 
 本社のビルは大きくて綺麗で、勤めている社員は皆おしゃれな服を着ていました。正直なところ僕は少し気後れしました。
 同じフロアで働く人達に紹介された時、感じ良く迎えられたので、ホッとしたのですが、いつまで経っても仲良くはなれませんでした。田舎者で高卒の僕は、彼らの会話に付いていけなかったのです。

 新しい仕事を覚えるのが難しく、親切に教えてくれる人も居ません。いつも僕だけ浮いていて、足手まといのような気がしました。そんな中すごく久しぶりに、妹から電話がありました。恐らく義母から連絡しておくように言われたのでしょう。父と義母が離婚したので、家を売って義母の実家のある街に行くのだそうです。父はどうするのか聞いたら、別の女と暮らしてると聞かされました。僕は別に何とも思いませんでした。
 それは僕の実家がなくなるという話です。でもあの家に帰りたいとは思っていなかった。元々帰りたくない家だったのです。

 本社に勤務して半年ほど経ったある日。上司に呼ばれ、同じフロアに保管していたある物を知らないかと、問いただされました。僕は触ってもいません。僕が持って行くのを見た人がいると聞かされて、驚きで震えました。そんなはずないです。違います。僕は持ってません。さらに上司は、君が来てから色々な物が無くなると言ったのです。衝撃で全身が凍りつくようでした。僕は盗んでません。

 上司はそれ以上何も言ってこなかったけれど、悲しくていたたまれなくて、会社に行くのがつらくなりました。
 僕は真面目に生きてきたつもりです。自分なりに努力していて、努力してるのを、他の人も見てると思い込んでいました。

 人の目が気になるようになりました。みんな僕を泥棒だと思っている。どうすれば違うと証明できるのかが判らない。毎日会社では平静を装って、アパートに帰ると、疲れて何もしないで横になりました。横になっても眠れない。食べ物が喉を通らない。会社に行きたくない。でも今辞めると、きっと疑われたままだ。貯金もないから、働き続けないと食べていけない。頼れる人がいない。僕を信じてくれる人がいない。

 あの日僕は、地下鉄のホームで、何本か電車をやり過ごしていました。乗らなきゃいけないのに、乗りたくないのです。会社を休みたい。休んでどうするんだろう。帰りたい。どこに?
 ホームを行き交う人達は、みんなどこかに行ってまた帰る。ひとりひとりに家族が居て帰る家がある。僕には無い。僕は帰りたかった。

 僕はずーっと帰りたかったんだと気付きました。
 それは無理な望みなのでしょうか。僕が望んではいけないことだったのでしょうか。僕の何がいけなかったのでしょう。何もかもが、間違っていたんですか? 悪いのは僕なんですか? 僕の方なのか?!

 こんな世界は壊れてしまえ ! !

 僕は電車に飛び込みました。
 最期に見たのは、まばゆい光です。
 天国の光じゃありません。電車のヘッドライトです。
 壊れたのは、僕の方でした。